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東山久男

東山久男の日記

〜つれづれ草〜


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一月十二日

繰り返す


気づけば時が経っていた。今年も元の一月が廻ってきた。俺はここに居る


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九月二十四日

交叉する真実


友人が泊まりに来ていた。とても変わった人なので、突然家に来て特に世間話をすることもなく、同じ空間、瞬間に偶然存在していたかのような距離感でスマホを見ていた。こっそり覗いてみると、このホームページの日記を開いていた。彼なりに、俺との世界を繋げようとしていたのかも知れない。けれども、どことなく彼の大きく逞しい背中に影が落ちているの感じた。それは、この部屋の照明が暗いためか、それとも、何か背負ってしまったのか・・・。以前、彼に貸した戦争中の戦記小説を返却されたので、感想を訊ねる。これはあの時代に書かれたものであるから、今とは全く異なる捉え方で読むことが出来た。案外それも真実なのかも知れない。そのような感想を話してくれた。俺は思わず、「そうや」とこぼした。そうなんや。戦争は絶対悪であることが前提で、それでもそれぞれ、一生懸命やった。このことは哀れに思われるべきで、感謝や賞賛にしてはいけないと俺は思っている。矛盾しているのだ。それほど複雑で一つの思想では語れない。考えている間に夜も深くなった。先ほど淹れたアイスコーヒーの氷も溶けきり、なんぼか飲み易くなっていた。時間が濃さを薄めてゆく。赤い布団に潜り込み、友の横顔を見つめる。俺たち二人がこの時代、この時に出逢った不思議を感じる。なんだか前にもこの光景を見ている気がする。


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九月二十二日

神秘の愛


インターネット見ていると、切なくも美しい二人の存在を知る。二人は進行性の病気で、ほとんど自分で体を動かすことが出来ない。恋人同士である二人は、介助者の力を借りて恋人の熱を感じることが出来る。その姿が切なくも、真の愛情を感じた。彼女のインターネットを見ていると、見落としがちな世界中の美しいもの、些細な幸せを有り難く思い、感じ、細かく綴っている。俺は活発で「動」「感触」の部分を鮮明に感じるが、静かなものは見え難い。香りや音、美しいものを見る楽しみ・・・。体が自由でないと、そのような感覚が過敏になるのであろう。彼の方は病気の進行が重篤で、声を出すこともままならず、寝たきりの生活になっている。二人が車椅子で移動していた頃の写真があったので、そこから動けなくなってしまった彼、彼女の心情は測りきれない。ただ、彼らを可哀想という感情ではなく、それでもなを繊細で静かな感覚を愉しみ、美しい時間を大切に、大切に生きている姿に心が震えた。何度生まれ変わっても、愛し合うのだろうと思う。永遠に・・・。


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九月二十一日

有馬温泉の神々


有馬温泉へ行く。温泉に入るわけではなく、サイクリングへ。山の中にあるので、坂が急勾配でなかなか厳しい。道中、ハプニングもあったが・・・。なんとか切り抜けられて感謝。そのワケはとある神社に参る目的があったので、ご利益だと信じることにしよう。以前にも訪れているが、温泉街の外れに小さな社がある。小さな滝があり、何とも神秘的なオーラを放っている。感謝・・・感謝の念で財布の小銭の全てを賽銭に納める。温泉街の観光客は少なかったように思う。少し不便な場所にあるからであろうか。特に土産屋を見ることもなく、家路を急ぐ。ああ、いよいよ秋。




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九月十七日

古代の足音


西神に用事があったついでに埋蔵文化財センターへ行く。今年は二回目の来館。前回は五月に来ていたので、四ヶ月振りだ。この場所は愉しかった場所でも去年の四月に紹介している。相変わらず静かで独特の空感である。太古の足音に触れ、心がいくつか落ち着いた。昼ご飯はフライドチキン・・・、「晩御飯・すき焼き」


「愉しかった場所・埋蔵文化財センターを開く」



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九月十六日

幽霊・エロ草紙


夜から友人が家に来ていたが、どうにも頭がクラクラして会話不全に陥っていた。会話が出来ないので唇のコミニュケーションになる。微かに上がる口角に全てを託す。友人は本棚を漁り、奇妙な表紙の雑誌を取り出す。断りもなく本棚を漁るのはどこの無礼者と文句を言はうにも言葉が出ないので諦めて、畳とも莚とも呼べない長座布団に寝転がり天井を眺める。ページを捲る音、友の低い咳払いだけが静かに夜を深くしてゆく。しばらく静寂に浸っていると、友立ち上がり障子を微かに開き、こちらへ来て外を見よと口角を少しく上げる。障子の隙間を覗くと、夕方に焚いた野焼きの火がまだ燻っていて、闇の中に白い煙一本。ゆらゆらと揺れていた。いやいや、違う。流石にこれほど長く煙が残るはずはない。あれは何か。眼を凝らす。友が唇を鳴らし、あれは幽霊や。まさか、、、まさかと二言吐いて、ゆっくり障子を閉じた。二人の目が合う。その直後、俺のスマホに着信があり。驚いて見てみると、例の女の子からであった。電話に出ることを許さんと言わんばかりに、強い眼差しが訴える。幽霊、女の子、友の眼光。有明月・・・。開いたままの雑誌の艶・・・。どれを選べども今夜は静かな夜ではない。「晩御飯・親子丼」


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九月十五日

時を止める


熱くて参った。おかしくなりそうなほど熱い。あまりに酷いので、気を紛らわせようと音楽を聞こうとするも間に合わず。バチバチ、轟々と業火の炸裂音が脳内に響く。部屋の灯が薄暗くなる。俺はこれを地獄だと思っている。強く念じる。助かる方法があると確信に変えてゆく。とにかく自分の姿を明るい光の中に想像する。綺麗な服を着ていて、落ち着いた顔をしている。平和のなかで柔らかい芝生の上で寝転がっている。今は見なくてもよい。考えなくてもよい。なんとか助かった自分を想像する。そうこうしているうちに、体の緊張が解けている。自分の最もたる大罪は、未来が見えることなのかもしれない。このまま時を止めていると地獄に落ちそうで不安なんや。




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九月十三日

未来の子供


図書館にて調べ物をしていた。図書館の自由なスペースには、町内の中高生がタムロしている。村には遊べる店もなく、無料で空調も効いているこのスペースは学生のオアシス。高校生の集団の会話に耳を傾けつつ、現代の子等は何に関心があるのか学習する。学校の話や女の子の話などで盛り上がっていた。声をかけて脅かしてやろうともたまに思う。帰りは知らない道から遠回りして帰ることにした。淋しい池のほとりで、明石にいた頃の風を感じ、懐かしいやらでおかしな感覚になり、天と地、東西南北の平衡感覚すら失い、おまけに田舎で携帯の電波もないので心細かった。ひとまず家に帰れたのでよしとする。「晩御飯・南瓜のそぼろ和え冷やしうどん」




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九月十二日

贅沢は素敵だ


夜から焼肉を食べに行く。食べ放題なので、気兼ねなく食べることができるはずだったが・・・。以前、去年の七月頃、しゃぶしゃぶ食べ放題で食い意地を張って大変な事態になった教訓から、今度は控えめにしたつもり。それでも大変な量を食べたので少し危なかった。ほんとうに豊かな時代になった。などと思ってはみたが、庶民的な焼肉食べ放題と言っても結構エエ値段する。行きたい時に行けるひとばかりではない。今の自分の立場をありがたく思わなければならない。「但馬から展覧会へ誘う手紙が着く」




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九月十一日

あんこ餅のパイ


三田で用事を済ませて、市内で買い物をする。昼ごはんはハンバーガー。すき焼き味らしい。あんこ餅のパイがたいへん美味なり。その後、安いと評判のスーパーでマグロの刺身を買う。見切り品の肉も買えたので、お買い得に買い物ができた。家に帰りマグロ丼を作った。味は絶品なのだが、珍しい部位らしく、少し生臭いのでワサビを大量に入れるとうまく頂けた。その後は何うにも頭がボーッとして何をしていたのか思い出せない。やはり、日記はその日の晩につけるべきだと痛感。一日の予定表を見てみると、本棚の整理と書いてある。本棚を触った形跡はないので、全く何をしていたのやら・・・。ああ、暑い。




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九月九日

街の月光


夕方、旧居留地で待ち合わせてカフェへ向かった。特に話すこともなかったが、顔を見るだけで安心する仲。照明の弱い奥の席には、二人の世界が展開されている。ステンドグラスの小窓の光が絹のワンピースに反射して、西洋の婦人画かと思えるほどに美しき姿に目が泳ぐ。先ず話し始めるのは決まってこの頃の体調のこと。健康体ではあるもの、時々難しい状態になることを気にしてくれているのであろうか。元気に暮らしていることを話せば、疑いを含む微笑の乙女、白い指先で艶やかな黒髪を梳かせば、夜が降りてくる。月光の乙女。俺の軟派振リも名ばかりで、何から何う誉めて良いか言葉が見つからない。これだけ長々と文章を書けるのになぜ。卓上のコーヒーフロートが溶けてくる。グラスの水滴が滴るように、俺の冷や汗も頬を流れていたに違はん。夕飯まで時間があるので、サンドウイッチを頼む。いつものように一口で食べてしまわないように、少しずつ上品に食べたことがおかしかったようで、またもや例の微笑を含みこちらを眺めている。そうこうしているうちに、コーヒーフロートがすっかり溶けて、俺の緊張も溶けていたように思う。ぼちぼち行こうとさっと立ち上がり、二人の目線が見下ろす形になり、一発立場が逆転したのか・・・俺が月になったのか。あやしい夜のこと。


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九月八日

風を感じる


ああ、前回の日記では勇んでいたが・・・。考えてやまない。明石のことを考えない日とて一度もない。その合間に、微かに好きな女の子のことを考えているのだから、ほんとうにどうしようもない。前の恋を棄てきれずにいるのに。業が深い。そして今日は、加東市は三草山へ登った。とはいへ、目的は他にあったので麓まで行った程度である。少し登っただけなのに、もう高い。遠くに社の街が見える。静かに風が吹いている。心地よい。今を強く感じたことに胸が熱くなり、泪が滲む。今を感じる時には、同時に過去も感じる。懐かしさ、切なさ、愛おしさ。ひとり先々登って来たために、連れが遠くに見えた。一人で来たのなら、山頂まで登っていたであろう。危険が伴う絶壁の谷。すぐさま駆け降りて、これより先は危ないと言った。連れは登る足を止め、西の空を振り返り、ただ黙って雲を見据えていた。その先には、かつて陸軍の演習場があった話を、覚えていてくれたのだろうか。岩場に腰を下ろし、ともに茜の雲を眺めていた。若い日、懐かしい山。




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九月四日

これからだ


一ヶ月ぶりの日記。このひと月、厳しい暑さの中でも常に前進していた。今度新しく始まった俺の友の会は、大勢の入会があった。大変嬉しいことである。自分自身、特殊な存在であるから、いつまでここにいられるかは分からない。有効期間を決めての開設となった。頻度はまばらだが、たまに会報を届けたいと思う。書きたいことは多い。詩や短歌、昔のこと、思うことなどを書いていこう。先月に会報第二弾を書きたかったが、家庭の事情でややこしかったので今月となった。あとは印刷してポストに出すだけであるが、予想以上に入会者が多かったので友人に手伝ってもらうことになる。その代わり、友人の宣伝枠も小さいながら出してやろうと思う。さて、これからどうしよう。明石のこと・・・自分の中で解決に向かってしまっている。こうして不思議な場所から故郷の未来を見られたことも、大きな経験であり、かけがえの無い出来事の連続だった。思えば苦しかった幾年月、来るべき日に備えての試練だと思うことにする。思い残さない。いつか、清々しい気持ちでもう一度明石に帰るのだ。

「来るなら来てみろ赤とんぼ!」




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八月四日

時を拓け


久しぶりの日記。気がつけば八月になっている。色々あったが、自分のなかの覚悟が固まってきた。成長しないはずの自分が少しだけ成長し、少しく時が動いたように思う。この頃は色んな新しいことに挑戦しつつ、自分の役割にも目を向けられている。一つの時代が終わり、新たなステージに立っている。人生は、不思議な巡りあいであり、何が自分にとって運命を切り拓くのか、全く予想だにしない展開もあるとしみじみ思う。今更路を間違えたかも知れないなどとは思わない。もはや今更すぎるのだ。どうせ拾った命。好きに生きてやろうではないか。


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六月三十日

時の錆


六月が終わる。ほんとうにながかった。そして、百年を一夜に縮めたような月であった。俺の一生が封じ込まれている時の中。明石上空に架かる黒雲はいま晴れたのだ。永い夜が明ける。そんな心地がしている。これからがほんとうの闘いになるかも知れない。自分との闘い。しかし、今なら勝てると強烈に思う。俺は自分自身と対決する。闘いきった先の景色を見てみたいと、未来のことを考えている自分がいる。あれ程閉ざしていた未来を考えることが出来たのは、俺の時計の針が進み始めた証。「時の錆」流してくれたのは君だ。君は俺自身だ。


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六月十三日

泣き言


神経痛が酷くなっている。筋肉の緊張が神経を圧迫しているらしい。口も少ししか開かずご飯が食べにくいことには困った。口が開くと騒がしいのでちょうど良いかも知れない。気晴らしに街へ遊びに行こうと友達を誘うも、気晴らしは元気の前借りにしかならづ。君の痛みの原因と向き合へよなどと啖呵を切られ断念。確かに、今の俺は気がたっているので、逢うても暴言妄言をぶっつけてしまうだろう。頼もしい友を持ったものだ。それにしても何もかもキツく、泣き言が増えて見損なわれているかもしれん。普段の俺はシッカリしている。ずいぶん男らしいのだと執念に説明している己の哀れさよ。ほんとうにシッカリしよう。

「霞む目前」




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六月四日

去年が恋しい


東条まで行く。図書館へ行くつもりが、東条の河原で同然としているうちに物思いに更けてしまい、いつの間にか陽も暮れかかっていたので帰ることにした。家に帰ると体の重力に負けそうになりながらも晩ごはんを作る。作っているうちにも意識が散乱することには困った。毎年この時分はおかしなことになるので然程心配はしていない。しかし、付き合いの浅い友達はどうしてしまったのかと心配するので、あまり会わないようにしている。またカラオケに誘われているけれ共。。。過去の日記を見ていると、しばらく旧川航寮のリハビリセンターに行っていないことを思い出す。例のサンデーが食べたい。なんとなく、去年が恋しい。激しく心情乱れることがなかった平和な年だったと思う。心の支えのような存在がいたからかも知れない。ああ、俺も懲りない。


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六月二日

行きずり


朝からボンヤリしていた。部屋の片付けがどうしても終わらない。諦めて庭の草刈りをする。栗の花が満開で、むせかえる匂いを放っていた。縁石に腰掛けて、夜までボンヤリ月を観てた。いつのまにか家に戻っている。畳の上にひれ伏したまま、いよいよ沈んでゆく。抵抗する気力がなかったので、成すがまま、自分の意識に委ねた。深いところまで沈んでゆくなかで、さきほど庭で観ていた月が思い出され、すこし思っているひとが浮かび朧げになる。輪郭が観えない。切ないやら寂しいやらで、心臓がぐぐっと軋んだ。危ない。あぶない。何となく左手の感触を覚ゆる。顔を上げたころから、視線はハッキリと机の上に向いた。積まれてある詩集を開き、今の自分に相応しい詩をみつけようとペーヂを捲るも、見当たらない。見当たらないので、心を撫でるような優しい文句に眼をやりジッと見つめた。活字に、詩に感触が見える、色が見える。温度も感じる。表紙が赤い、その赤までも生命が見える。大感動を起こして、その事実を文章に起こそうとか、映像にしようと思い立つも、すぐにやめた。そういうものは、あまり語らない方がよい。夜の九時が過ぎ、布団の中で音楽を聴いていた。ルナシーを聴く。これもあぶなくて、上に書いた様な体感を得る。一言一句がバラバラになりその一言が素晴らしいものに感じて時まで止めてしまう。あまりの感動に泪を流した。この様な現象は、過去の出来事から気を逸らそうとしている防衛本能であろう。今夜は月を思う。「声の相性で全てが決まる」


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五月廿九日

ひそむ眉


いつの間にか五月も暮れようとしている。今年も忌むべき六月がやってくることに心臓が縮こまる心地する。今日は目覚めがわるく、ずいぶん遅くに起床した。疲れるという概念のない強靭な肉体を持つ俺も、この頃は体の重力を感じる。気が弱るとほんとうによくない。それでいて、ソワソワ病なのでジッとして居られずに、重い体を起こして遠くへ行く。どこまでも遠くに、焦る心を鎮めるために。悲哀の峠とよんでいる峠の草の上に寝そべり、五月の風を感じていた。考へている。頬を撫ぜる風は、陽のぬくもりは、たんぽぽの色は、すべてあの蜃気楼の中に見たものではないのであろうか。六月が近い。


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五月廿五日

多情多恨


日記をサボっている間も、俺は相変わらず、昨日に生きとる。 もはや戻れなくなったのかも知れへんが、その時に傍に居ってくれる事が一番何やけど、難しいこっちゃで。 怖いやろこわいやろで、嫌になるやろで。 俺かて、こないに勇ましい顔をしとるけんど、ほんまは心でおそれとるのやで。 自分の中で、何とか折り合いを付けていくしか、ないとは思うとる。 助けてほしいなどとは微塵も思はん。 既に助からない。しかし、俺の一生を封じ込めた地の中を感じろ。 その苦しかったことを感じると見えてくる。俺が見えてくる。 見ようと思へ。 さもないとこの呪いの降りかかるど。 触らぬ神に祟りなしとは昔から云うやろで。ほんでも、手を触って、握ってくれや。抱擁してんな。


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三月十一日

君を抱いて痛い


十日以上も日記をサボっていたのは、自分の考へが纏まらない日が続いたからである。先月のウイルスから身体の細胞が書きかわったかのように激しい人間になっている。突然の誘いにより、変化を恐る自分が変わろうとしている。そう確信したのも束の間。「何も変わってないよ」その言葉で目が覚めた。普通の人間は、就職や入学といった変化の人生の中で常に過ごしている。新しい趣味やコミュニテーもそうだ。微塵の変化も許されない時の中を生き、それこそが自分の因果であり使命と信じている。ただ新しい趣味や仲間が出来ただけだ。それをさも人生の一大事と決めつけ、勢い勇んでいた。それ故に酷く体力を消耗してしまっていた。変な話である。気張りすぎてダメになるのは自分の欠点だ。気楽に愉しくやろう。一連の心情の乱れにより、結構な暴走があったことを今更後悔している。呆れて目の前から去った友までいる。過ちの数だけ


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三月一日

窓を開ければ港が見える


夜6時ごろに急遽神戸へ向かった。和田岬には戦跡が多いので、語り部の活動で何度も訪れている。そのことが頭に浮かび悩ませるのは職業病ならぬ、ボランテア病なのだろうか。今日は和田岬にある大型ショッピング施設へ行くことが目的。観賞魚を買い古本屋兼CDショップを見る。先日友人が歌っていたCDがあり買おうと思ったが。同行者にわけを聞かれると面倒なのでやめた。今時CDを買わなくとも、動画で簡単に見れるのでこればかりは現物の所有欲による。また機会があれば買ってみよう。夕食はラーメン屋にゆく。濃厚コッテリもうまいが、この頃は播州ラーメンの甘い醤油味がブームなのでそれには及ばなかった。車窓から港を眺めつつ、少し暖かい風を頬に受け物思いに耽る。今日から三月。ながい冬に終わりを告げ、新たな心で春を迎える。


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二月廿八日

感覚を研ぎ澄ます


神戸にて友人とカラオケをする。バーガーを買い直行。普段カラオケに行くことはないのだけれども、カフェで雑談するにも共通の話題はなく、全く異なるタイプの二人がいかにして交流が出来るのか考えた末の名案。友人は初めて聴く軍歌や流行歌に驚きつつ、負けじと聞いたことがないような歌を熱唱してくれた。あまりの調子の速さに驚く。俺はあんなに早く舌が回らないので感心する。外見にしても、趣味にしても初めは受け入れ難かったが、出逢って三ヶ月、だんだんと慣れてきた。時代の変化は個人の適応力次第でなんとかなるものだと思う。異文化に触れることは、自分にとって新たなる感覚を吸収する面でも良い経験だと実感した。7時間にも及ぶ熱唱を終えて、これからの熱い友情を誓い帰路に着く。晩御飯は寿司。


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二月廿七日

音のない谷底


おとといに続き再び千苅ダムへ訪れる。同じ時刻に出発し、同じ時刻に到着。そして帰宅も同時刻の全く同じ条件。一つだけ違ったのは、今日はストーカーのおっさんが居なかったこと。いよいよダムに一人ぼっちで、音もななく、風もなく。陽の照らない谷間は冷ややかに俺の淋しさを嘲笑っていた。天辺にスピーカーのついている柱のインターホンを押せば、ダム全体に響き渡るアナウンス。録音された谷間にも木々にも響く音声は澄んでいて余計に寂しさを誘う。駅前で購入したるパンを頬張りながら、ダム建設時の苦労を偲ぶ。水門から水が放出さていれば、これほど静かなことはないだろう。今は冬なので雨も少なく、ダムの水が増えることはないのだろうか。一人河原を歩けば、永き年月水の流れに曝され角のとれた岩の数々。美しい白。天然の美。ああ、俺の罪も流し去ってくれ。忌々しい影の去りて幾年月、額を流れる黒い雨はなんで紅顔の美少年と云へようか。哀しい、かなしい、と思うほどに黒い濁流が体の血潮となり流れてゆく。ダムの日記のつもりが暗い話になってしまった。「指先に滴る黒」




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二月廿六日

青春の灯火〜今日の後〜


今日は図書館にて資料をまとめようとエンヤこら急ぐも、改装中にて入れず。ならばと東条まで走るも、休館日にて入れず。長時間パソコンを触っていても問題なく過ごせる場所は近くにないので、諦めて帰る事に。しかしそれでは腹の虫が治まらないので、播州ラーメンを食べる。この頃の流行りでよく食べているきがする。帰路は長い。気を引き締めて寒空を急ぎ、真冬の黄昏に後ろ髪を引かれる。俺には引かれる髪もないけれ共・・・。帰宅後は呆然としてしまい、全く作業が出来なかった。何をしていたかも思い出せない。きっとろくでもないことをしていたのだろう。明日はシッカリしよう。「デジャヴ」


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二月廿五日

ダムの底


午後一時半に家を出た。ほぼ宝塚市の千刈ダムまでチャリで行く。三時頃に到着し、ダムの様子を見学した。あまりにも誰も居らず、道場駅から原付でつけてきた知らないおっさんと俺だけである。大正八年に出来たダムはモダーンな作りで、とにかく大きく、水は流れていないものの大迫力であった。しかしあまりにも静か、無音の空間で、不思議な気持ちになった。ここには何かありそうだ。ダムについては後ほど愉しかった場所ページで紹介する。帰りにスーパーの休憩スペースにてコーヒーを飲み休憩。コップに満タン入って100円のお買い得さ。良い休憩所を発見出来てよかった。六時ごろ帰宅。晩御飯を作るのがだるかったが、頑張ってトン丼を作る。夜はぼんやり過ごした。




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二月廿四日

より深い赤


連続するスライド写真、連続単発的フイルム、調子的には一秒間に二回のような体感。北側鉄筋の建物にバラバラ、こわかったわ。あんなんあり得へんしそう言う造られたものやと信じとう。こわかったし、和坂にいきたないよーとおもても行かなあかん身体やしな。どれほどに、怖かったと思っとるのど、絶対にゆるさへん。


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二月廿三日

犬ケーキの味


早くも二月が過ぎそうになっている。正月に立てた目標の効力も薄まり、この頃はサボりがち。昼頃、神戸の友人から電話があり、行きたい場所があるので同行を頼むとの要件。どうやら戦後から栄えた地区の散策が目的である。戦争が終わってからのことはほとんど知らないと伝えるも、知らないなら尚更来てみよというので、仕方なく承諾。春が来る頃にでもという事にきまった。今は全くそれどころではないのである。ウイルスを言い訳に、やるべきことが全く手についていない。膨大な資料の中から案件を纏めていく重労働がある。今週からはしっかり自分の役割と向き合おう。そして今日は家の犬が2歳の誕生日らしく、犬用のケーキを買う。少し食べてみたが、人間のものと変わりなく、美味なり。犬がこのような贅沢品を食べられる世の中は、とても良い事だと思う。喜んでいてこちらもおもしろかった。俺もケーキを買えばよかった・・・




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二月廿二日

笑ってよ久男くん


午後から古本屋に付き添う。自分の求めているような本はないけれども、趣味の本など、立ち読みする分にはなかなか面白かった。有名な洋画のDVDを購入。この頃は自宅待機という事で映画をよくみていた。相変わらずジッとしてをれないので、何か手を動かしながら何分かにわけて観る。その後は魚屋に行き金魚を買った。何かしらの品種を交えた混血種の金魚は、なかなか珍しいという事で、珍しいもの好きが転じて決めたものの、真ん丸い体型故に転覆病にかかり易い。雑種強勢に賭けるしかない。夜、写真を整理していると、懐かしいものがあった。2021年に明石港で撮影したものと思われる。笑顔の写真は珍しい。それでも、眉間に皺が入っているところがおもしろい。これでも照れ隠しなのだから・・・




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二月廿一日

青春の一頁〜男の涙とは何か〜


色々と満たされている日であった。味覚障害も半分くらい回復した。夜はデパートのレストランにて夕食後、少し買い物をして帰る。チューリップか薔薇かの形をしている飴を購入。桃の節句が近いので、それの飾りとして売られているらしい。大きくて食べ応えあり。そのむかし、花の形をした金花糖はほんとうの花で作られていると思っていた。それほど精巧に作られていたのか、幼さ故の感性なのかは定かではない。滅多に食べられるものではなかったが、今の俺ならば大人買いが出来るのに。マシュマロで出来たとうもろこしの飾りも購入。和菓子屋に行けば、他にも売っているのであろうか。帰宅後は、かねてより見せよとの要望があった自作の短歌集を探していた。引っ越しの際にしまってそのままである。書いた時分がそれぞれ違うので、全く異なる心情や流行の文句があっておもしろい。ページの短歌集を全く更新していないので、載せられそうなものから公開していきたい。なかなか恥ずかしいものも多い。「エロ」と書かれたページを発見し閉口。




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二月廿日

新 IT時代


朝からホームページの開拓をしていた。開設してから一年経つが、いまだに発展途上どころかリンク切れも多く、迷子になってしまうページもある。ホームページと言うものは、今では無料アプリなどで簡単に制作出来てしまうけれども、俺は敢えて一からHTMLタグを打ち込んで制作する方法を学んだ。既存のもので作るホームページより何十倍も手間がかかり、時間もかかるが、何せ自由度が高いので技術さへあれば思った通りのページが出来る。作ろうと思へばもっとスタイリッシュなものが作れるけれども、管理し切れなくなり放置になりそうなので今のままのクオリテーがよい。参考書が20年前のものなので、今では使わない方が良いとされるタグを乱用していることが気になるけれ共、なぜダメなのかイマイチ理解が出来ない。語り部の会ではスマホを使いこなせると言うだけでIT担当と持て囃されている。最低限ITの知識を入れていきたい。しかしITとはなんの略であろうか。兎も角、不動のページを何とかしていこう。夕方マクドにて、アメリカの大好物であるバーガーを喰うた。ふざけたビラを敷いていた。「明日こそ展覧会で買ったパンフレットを読む」「写真の整理」




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二月十九日

ワインブームなるもの


何もできない時こそ勉強をするべきだと思うけれども、集中力が落ちている気がする。春には語り部の活動もあるので、現場の調査にも行かなくてはならない。早く全快してもとの暮らしに戻りたい。ウイルス発症の前にワイン城を訪れて、カフェや売店がなくなっていることに気が付く。かつてのワインブームにあやかり、売り上げを伸ばしていたワイン城も、製造施設の老朽化や売り上げの状況を鑑みて、今後の神戸ワインの生産は同じ神戸の酒造メーカー白鶴が担うことになったそうな。これからショップの入っていた建物の改修を行うらしいが、おそらく今の建物は建て替えとなるだろう。なかなか趣のあるワイナリーなので、工事の前に記念の写真を撮りにいきたい。できれば今まで通り静かな風景は残してほしいところだ。しかし神戸ワインが白鶴になるとは、結構な重大ニュースではなかろうか。改めて強大な企業であると実感する。夕食はカツ丼を作るも、味付けが大変濃くなってしまい、塩分摂取量が気になる。俺はともかく・・・。


「愉しかった場所・神戸ワイン城を開く」



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二月十八日

作り物の世界


あまりにも平穏な日であった。昨晩は懐かしい夢を見た。かつての級友と会う夢。夢の中では、あの頃のまま暮らしている様子で、久しぶりに会って懐かしいという感じではない。自分自身も、何も変わらず、いつも会っている風な雰囲気であった。青い芝生を敷き詰めた広場を歩いていると、見た事もないほどに美しい花々が咲いているところがあった。ほんとうに見た事がない花で、金粉を散りばめた輝きに驚く。見ているうちに、これは現実のものではないと気がついた。なんだか怖くなってきて、級友にその事を伝えると、次にはもとの何もない、芝生を敷き詰めただけの広場に戻って来た。友は居なかった。それからは一人で、何処までも続く芝生を歩く。空がやけに青くて、これも嘘みたいな色をしている。作り物の世界にいるようで、いよいよ不安になってくる。寂しかった。パラレルワールドとも云うのだろうか。脱出の手立てのない世界に閉じ込められる恐ろしさは、次第に麻痺してそれが現実になってくるものだ。ふとした時に、夢の中の見たことのない美しい花の如く、目に見えているもの、人、書物に書かれている内容まで疑わしくなる。これが胡蝶の夢だとしたら、夢が覚めるのが幸いか、このまま覚めないのが良いのか。究極の選択になることであろう。




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二月十七日

流転に反く


しばらく誰とも遊べないので退屈している。やるべきことは沢山あるが・・・。深い藪の中で、竹のそよぐ音を聴きつつ、淋しい離れの手入れをしていた。俺もいつか死ぬのかと、不安になりながら遺影に目を凝らす。俺も死んだら、明石などで風となり吹き渡っているんかな?それとも、幽霊となって工場へ通っているんかなあ。それでは今とあんまり変わらない気がする。眠たい・・・。夜は久しぶりに買い物へゆく。帰り際、急激に体調が悪くなり昏倒。スーパーに怖い人がいたので、それが原因だと思う。自分の気が弱ると、そのような普段は目に見えないようなものまで見えるようになる。幻視という話ではない。誰しも起こりうることであろう。しっかりしよう


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二月十六日

新感覚


本棚の整頓については、お気に入りだった本を一冊だけ持ち出して、机に仕舞い込んだ。青山白雲という題名の小説集である。雑誌のように紙が薄いので、ページを捲ると破いてしまいそう。百年以上昔の本なので、経年劣化が気になる。俺は昭和二年に生まれているので、それより少し前の本だと思うと、不思議な気持ちになる。家にある本で一番古いものは明治二十三年の小説である。本棚の整頓を放り出して、映画を観た。17歳の女子高生がある日偶然出会った42歳の中年男に恋をするという、オッサンの妄想のような映画である。しかも、その中年男は偶然にも少女の亡き母の元恋人で、真実を知り少女は心を乱すも、オッサンに惚れ込んでいるので会社まで押し掛ける。オッサンはというもの、現実のオッサンならば、少女に夢中になり恋心を燃やすのが性であるが、これは映画なので、オッサンも惚れ込んだりはしない。あくまで大人の男といった余裕と対応で少女をあしらっていた。親子ほど歳が離れているので、恋人というよりは情が移ってしまっているという演出であろう。それでも、自分のホテルの部屋に連れ込んだりしているところは、現実味を帯びている。少女もすれ違いの暮らしをしている父恋しさ、親恋しで中年男に懐いているのではないか?とは思ったが、どうやら本当に恋愛をしているようだ。精神的に未熟な少女は、そういった現実的ではない相手に惹かれ易いように思う。オッサンが相手は稀であろうが、非現実的な恋愛でスリルを感じたい年頃なのであろうか。しかし、あまりにも自分とかけ離れている立場や境遇の人との恋愛は障害も多い。現実では無難な相手と恋を楽しむのが健全だと思う。ともかく、これは男性がターゲットの男性向け映画なので、現実的な恋愛ものでは萎えて仕方ないであろう。これくらいで、よし。にしてもキスシーンは眉を顰めた・・・「身体が反応するシーンが」


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二月十五日

早く新開地とか行きたいな?


春の陽気。軒下に腰を下ろして、日の光を浴びる。庭に繋いでいる犬が、落ち着いている俺を観て、驚いた顔をしていた。そろそろ何処かへ出かけたいが、感染を拡げてはいけないということで、自然と戯れるしかない。昨日まで元気に山へ入っていたが、微妙にダルさを感じる。気疲れだと思う。夜、今日こそは本棚の整頓をしようと思っていたが、それも忘却の彼方へ消え失せて、またもや懐かしい音楽を聴きつつボンヤリしていた。ページの改装もしたかったのだが・・・。これが噂のコロナ呆けかと疑う。夕食の支度をするのも一苦労。嗅覚を完全に失っているので、味付けの塩梅が分からず、塩味ばかり強くなる。早くもとの暮らしに戻りたい。




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二月十四日

春を待つ


ウイルスの病状が思っていたより軽いので、看病という看病はしなくてもよく一安心。庭を散策していると、未だ梅の花が咲いていないことに気がつく。去年の今頃は咲き始めていたような気がする。今年は寒い日が多かったからであろう。梅の木の一本に虫喰いを発見。春が来る前になんとかしたい。夜、何もする気になれず、音楽を聴きつつボンヤリしていた。かつて好きだった音楽は今聴いてみても良いもので、あの頃とは状況が違う今の自分には、また違った感覚で聴くことができる。そして泣ける。あの日がありありと浮かんでくる。体感では昨日の事のようだが、ほんとうは時間が経っているのかと思うと、あの日はいま何処にあるのか、そんなおセンチな気に浸れる。いつかは俺も、誰かのそのような思い出となるのか。ならないような気もする。おお、月が蒼い。


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二月十三日

遂に俺も


以前からの体調不良はどうやら例のウイルスだったらしい。養父が陽性なので、俺もそれに違はん。この程度かという感じだった。熱はなく、咳も一日だけで、なんだかで毎日動き回っていた。しかし、ウイルスが流行り始めてやっと我が家にも乗り込んで来たと思うと、何か知ら思うものがある。はじめの頃は特効薬もなく、恐ろしかったが今では存在を殆ど忘れていた。それにしても、養父の薬代が3万円という事に驚愕。これでは薬を買えない人も大勢いることであろう。これの効果が絶大でなければ、割に合わない金額である。ありとあらゆる感染症に罹らないはずであった自分も、ついに免疫力が低下している様なので、これからは更なる過酷な条件下で鍛えて行きたいと思う。「今宵は満月」




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二月十二日

何かあったんかな?


一日中雨。図書館で資料制作をしようと思っていたが、雨が強くなってきたので行くのをやめた。かといって、全くジッとして居られない体質なので、真っ黒の傘を背負って山へ入った。昼をも暗い山の中は、傘など必要ないほどに木々が鬱蒼としている。泥濘深く長靴が地中に沈んでゆく様は、山が生き物である事を感じさせる。見渡せばすべてが生きている。命のない物を探す方が難しい。草花や、木々や水も、俺の存在を感じていると思う。歓迎されているというよりは、横眼で見られているような心地がする。家に帰り、放浪記という映画を観た。作家の林芙美子が自らの日記をもとに放浪生活の体験を書き綴った自伝的小説を映画化したものらしい。第一次大戦後、貧乏でアバズレの女流作家が、職を転々としながらチャンスを掴む話であった。駄目男にばかり捕まる女というものは、昔からいるらしい。俺はこう見えて芸術や文学に疎いので、放浪記もこの作家の事も知らなかった。誰かれ構はづすぐに恋に落ちるという下品極まりない行為が、物語といへども受け入れられず、良い映画とは思わなかった。不貞行為をするアバズレだけはこの世で一番に嫌い。それはそれ、これはこれが出来ない。これだから物語などは自分に向いていないのだ。「これに関してはトラウマを抱えている」




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二月十一日

移ろいゆくもの


身体が傷む・・・。用はないがワイン城に向かう。お気に入りのカフェやワインの販売店がなくなっていた。どうやら昨年末で全ての施設が閉店したらしい。あまりにも残念。ただでさへ閑古鳥が鳴いていた園内は、音もなく風が吹いていた。金がかかってそうな入場ゲートや、たくさんの店が入っていたであろう西洋風の建物は、かつての栄華を偲ばせる。本物の時代の移り変わり展を見た心地する。いつかワイン城の記事を「愉しかった場所」で書いている。夢は昔・・・あのカフェやワインショップは、何処に行ってしまうたのやろうか。夜はすき焼きを作った。肉が高い。大食漢ふたりの我が家では500グラムのロースでは足りない。同じ鍋をつつくので、どうしても実子ではない義理が働き、肉を取ることを遠慮してしまう。然もなくば、自然界の掟のような、本能的なものなのか。




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二月十日

心に風が吹く


朝、体が思うように動かないことに気が付く。神経痛も酷く、体調の悪さはピークに達する。風邪でも熱でも活動してしまう自分だが、今日ばかりは全く動けなかった。仕方がないので映画を観る。野戦病院の従軍看護婦と軍医の束の間の恋愛を描いた映画であった。自分は戦争物の映画を見ないようにしているが、「家で禁止されている」題名が気になってこの頃は見てしまっている。内容は事実ではないものの失望するもので、戦場での色情場面が見るに堪えなかった。男と女がいれば、戦場でもあのような関係になるのであろうか。極限状態による本能的なものか。心情かき乱されたが、大人の愛情を描いた優れた作品であることには違いない。しかし、なんだか物寂しかった。夜は晩御飯を買ってきてもらった。鎮痛剤服用で少し回復。何もしていないので眠れるかあやしい・・・


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二月九日

望郷の歌声


いよいよ体調の悪さが本格的になってきた。全身に神経痛が出現。衣が擦れるだけで鈍い痛みを覚ゆ。朝、パンの袋を開ける音が、何かがバチバチと燃えている音に感じて、手に力が入らず、白いパンは手からすべり、畳の上に転がった。白いパンを観ていると、そのまま無の世界に入ってしまい、気が付けば布団に横たわっていた。パンは消えていた。気を取り直して朝ごはんを食べた。その後はゆっくりと過ごす。懐かしい歌を聴く。アリランの唄、別れ船、悲しき子守唄など。アリランは朝鮮民謡だけれ共、日本人にも通じる旅愁のようなものがある。聴くだけで涙を誘う。確か、流行歌として編曲したもので、朝鮮人の歌手と淡谷のり子が唄っていた。昔、学校に朝鮮人が何人かいたような気がする。中国だったかもしれない。そのような名の子が居たことを覚えている。中学に入るほどであるから、それなりに日本の地に定着している子であっただろうが、彼らもやはり、望郷の念に駆られていたのであろうか。南播州から北播州に移住して、明石郡を去った俺でさへ、故郷を思う夜もある。チャリで毎週通っているのに。それにしても、アリランの唄をうたっていた歌手は、前の戦争が終わった後に朝鮮に帰り、日本で活動していたという罪で処刑されたらしい。中国では李香蘭もその様な理由で処刑されかけたという。やっと帰れた自分の故郷には、もはや居場所はなかったのか。哀れな話である。昔、古賀政男のギター教本に彼の歌である「放浪の唄」が載っていて、弾き語りの練習をした事があった。爪弾き唄える程にはなったが、果たして今でも弾けるのか自信はない。良い歌手だったと思う。驚いたが、YouTubeを探すとその歌があった。聴くと泪が出た。「捨てた故郷は惜しまねど 風にさらされ雨に濡れ 泣けどかえらぬ青春の 熱き泪をなんとしょう」


「放浪の唄を聴く」


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二月八日

芸術肌ではない


姫路にて用事。遠いようで、高速道路を使えば差ほど時間はかからない。俺が運転するわけでないけれ共・・・。展覧会へ行った後は、姫路城を横目に帰路につき、レストランでハンバーグを頂く。何故かとても眠たく、一番端のテーブルでゆったりとした時間を過ごした。壁に掛けてある絵画は、花瓶に生けた花であったように思う。しかし、山の絵であったような記憶もある。どちらか思い出せない。家に帰ると、身体の怠さが悪化してをり、咳が出てきた。健康自慢の身体であったが、この頃はどうしたわけか、体調を崩す事が増えた。気が弱っているのか。展覧会で購入した冊子を読む気にもなれず、ぐったりとしていた。




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二月七日

無茶をした


三田へ夕食の買い物に行く。とても寒い。帰り道は猛吹雪にて前も見えず困った。身体が少し怠い。駄菓子購入。「晩御飯カレー」




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二月六日

山の淋しい湖


午後から、と言っても、午後4時頃に東条へ向かった。目的はお気に入りのカフェに行きたかったからである。その前に写真を撮ったり、湖を散策していると、いつの間にか日が暮れていたので帰ることにした。東条湖についてはまた後ほど愉しかった場所で紹介したい。夜中にネットの女の子と電話をした。当然の如く相手は存在している訳であるから、会って見たくなるのも人情。会いたい、触れたいと思う健全な男心が自分にも残っていることに少しの恥ずかしさを感じる。ときどき艶かしい会話になっていることにも胸がざわめいて、身体の熱くなるを覚ゆ。君が近くに住んで居たならば、止まらなくなっていただろう。などと脅かしてみても、言葉の返り討ちに遭い、更なる恥ずかしい思いをさせてくる乙女に惨敗している。おお恥ずかしい。




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二月五日

最強なる寒波


今季最強の寒波が襲来。庭の睡蓮鉢にも氷が張っていた。鉄の柄杓でカチ割ると、すぐさま犬が走って来て割れた穴から水を飲んでいた。もしかすると暫く水を飲めていなかったのかと思い、氷を割ることを忘れないように睡蓮鉢の上に柄杓を置いたままにした。久しぶりに離れを掃除をする。訳ありの家なので、故人の遺品と俺の私物が同居していて、あたかも共に暮らしている様に思える。元家主の遺した、嫁入り道具であろう鏡台には、友禅模様の鏡掛けが今なを鮮やかで目を惹く。「母の形見の鏡掛け色も懐かし友禅模様」とは、このことか。今では俺の如き浅黒い男を映しているとは、物の行く末はわからぬもの。俺の大切にしている欅の鏡台は、いづれ誰を映すのやら。



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二月四日

友の情


寒さの厳しい日。チャリを漕いでいると大量の汗をかき、止まろうものならたちまち汗は冷たくなり身体は冷える。体温を奪われないように動き続けなければならない。外套の断熱性が高いので、熱がこもり汗が蒸発しないのか・・・。仕舞いにはズボンまで染みていた。昼から友人とマラソンの訓練をした。峠を二つ越えるコースを選択。獣道に入ると、足場は悪くなり木の枝は顔面にぶち当たる。道中は氷砂糖をかじりつつ、恋語りや昔話で盛り上がった。その中で、以前誘われた岡山にある戦闘機飛燕の実寸代搭乗の話になる。その誘いについては、自分の思いを正直に打ち明けた。ほんとうはこの様なことを言うのは心苦しかったが、模擬機体であっても恐ろしく、その後の精神に影響を及ぼしてしまうと話した。すると友人は怪訝な顔をするでもなく、男らしく何事もない様子で、また何処かへ遠征しようと言った。おそらく友人は俺と岡山へ行けるものと思っていただろう。今はその時ではない。堪忍して欲しい。時刻は夕方四時になっていた。やっとゴール地点まで辿り着くと、山陰には昔ながらの農村が広がり、俺達の気配に驚いたか飛び立つ白鷺の一声。冬の静けさの冴え渡り詫びしい気持ちになる。背後に立ち腕を組みながら俺を見ていた友の表情が益々胸を衝き、ほんとうは臆病な俺を大和男子と褒め慕っている友に対して、戦闘機の話の如きも失望させることを云うべきではなかったと後悔している。彼はこの日記を観ていないものとして、ここに胸の内を綴り今日の反省とする。


「2025年2月4日・友人の写した俺の姿」



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二月三日

次に期待


朝から極寒の中用事に出かける。おお寒い!昼食はここだと決めていた店が閉まっていて落胆。それではと第二候補の店にゆくも定休日で、おとなしく帰宅。帰宅とは言ってもエエ時間になっていた。晩飯を食べてから、パソコンで古い映画を見ていた。「歓呼の町」上原謙が出ているので見たものの、内容はあの時代ならではだった。当然である。二本目はよくわからない任侠映画を観た。あまり興味がなかったが、よく聞く題名だったので興味本位に。これまた気が晴れなくておとなしく眠るとしよう。「晩御飯・唐揚げ、トンカツ」


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二月二日

夜ふかしは控えたい


今日は節分。我が家では節分は特にやることがない。買い物をしていると、巻き寿司の刺身が安売りしていたので購入。まき寿司は作らないけれ共、そのままお造りとして食べた。そのほかにも、うどん、イチゴを頂く。夜は語り部の活動で必要な資料を制作。なかなか時間がかかり、深夜に日記を書いている。出さなければならぬ手紙、葉書が多く溜まっている。俺と文通することが目的なのに、メールにしてくれとは言い難い。しかし、字は書かないとどんどん悪くなるのでそこは助かっている。そろそろ眠ろう。


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二月一日

新しい月


今日から二月。冬の寒空の下、元気に走る。真冬でもさらさらと汗が流れてくる。人間は汗を流すべきなのだ。足腰が丈夫なら、なんだってできる。とにかく日々身体を鍛えることは怠らない。そしてよく食べること。よく眠ること。よくよく勉強する。今日は珍しいく邪念が少ない日であった。夜はファミリレストランへ行く。フライミックスが美味。食べ物の写真を撮影すると叱られるのでこっそり。


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一月三十一日

エロ・草紙


明石にて友人と会う。喫茶店でフルーツあんみつを頂く。美味なり。帰宅後調べ物をしていたが、資料の多さに見つからず断念。もう少し整頓したい。ついでに頭の中も整頓が必要だ。いろいろな物事から少しづつ脳力を奪われている気がする。仲良くしている子を思ったり、耽ったりであやしい散文が増える。何故だか自分が淺ましい人間になったように思う。一月も今日で終り。正月に立てた目標はなかなか達成できないものだ。無事に過ごせたので良しとしよう。


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一月三十日

名残り尽きない果てしない


一昨年の秋に植えた白菊が未だ咲いている。開花して一日で萎れてしまう花もあれば、菊や水仙のように長く楽しめる花もある。 胡蝶蘭などは三ヶ月も花をつけていた。ふとした時に合歓の花を思い出し、かの子を思う。ほんとうに、あれは俺に別れを告げていたのだと思う。せめてひと目逢っておきたかった。人の縁は花のように、永いものもあれば、短いものもある。そして、幾ら愛情をかけてもふとしたことで枯れてしまうものもある。人も花も、それぞれに。夏草の、美しいことを語ったことも、覚えているか知らん。あゝ、思うと感傷的になって仕舞う。男は案外、未練がましい生き物なのだ。女は忘れ易い生き物か。斯く言う俺も、今では別の花を探し求めている。


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一月廿九日

困った病


夜中に激しい発作があり。まさにこの世の終わりかと思える爆発音、熱波で息が出来なくなる。身体の内部からやられる感覚。一時間ほど続きぐったりと布団に倒れ込む。筋肉が緊張してなかなか眠れず、朝方に眠った。自分の最も恐る出来事が妄想となって襲ってくるのだろう。昼頃から図書館にてページを制作するなどした。長居してしまい、帰る頃には薄暗かった。22時ごろに発作の第二波があり。戦慄している俺を励ます養父。身体がとにかく熱い。自分は瀕死だと錯覚しているので、走馬灯のように過去の記憶が浮かび、その断片にやはりあの工場が出てくる。明石の海岸、新開地の映画館。長田に住んでいた友達のこと。少しずつ夢が覚めてゆくように、意識が戻ってくる。風呂で汗を流した後に日記を書いている。かなり眠い・・・久しぶりのビョーキで疲れてしまった。


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一月廿八日

写真の行く末


明石にて用事。その前に、自分の販売しているプロマイドのセットを買ってくれた子があったので、郵便局より送る。88枚の写真は、膨大な数だ。これだけの写真をよくも撮り溜めたものだ。どれも一人で写っていて、俺という人物の日常を切り取った思い出の写真。送る度に思うのだが、この写真の行く末はどこにあるのだろう。いつか数十年の時が経ち、持ち主が年老いて天寿を全うしたとき、残された家族はこれを見て不思議に思うことだろう。一体誰の写真なのか、いつの時代のものなのか、混乱するに違いない。それもまた、自分らしくて良いのかも知れない。


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一月廿七日

在りし日


書くことがないので、在りし日を振り返る。去年の三月一日は、諏訪山へ来ていた。その後も何度か訪れているけれ共、この三月一日からまだ数時間しか経っていないように思える。それは、自分の時の経ち方が変になっているからであろう。いや、他人から見れば変に感じるだろうが、これが自分の時間だ。こればかりは運命なのでどうしようもない。ところでこの諏訪山では不思議なことが起きるとされている。幽霊を見る人が多いらしく、磁場の乱れが関係しているらしい。確かに自分もここには強烈な引力を感じる。何故だかわからないけれども、ここへ来てしまう。去年の夏の終わりに、一人元町駅から諏訪山へ向かう道中、当然背後から自分の名を呼ぶ人があった。東山さんですよね?と、制服を着た少女。ネットで自分を知った子だとすぐに分かった。これは問題があったかも知れないが、今から諏訪山へ登るので、一緒に来ないかと少女を誘った。当然に振られてしまい一人で諏訪山へ向かった。錨のマークの頂上まで登り、遠くの船の汽笛を聴きながら、呆然としていた。暗くなってきて、山を降りる道すがら、お憑かれ山あたりで巨大イノシシに遭遇。この辺では珍しいことではない。後退りして別ルートで下山した。家に戻りメールをチェックしていたら、その日声をかけてきた子の姉からメールが来ていた。妹から会ったことを聞いた直後に諏訪山まで登り、下山を待っていたらしい。逢うことが出来なかったのは、自分があまり長い時間山頂にいたので、その子は会えぬものと先に帰ってしまっていたという。諏訪山は、不思議なことが起きる場所。そんな場所で、もし自分と逢ってしまう子があったのなら、どうなってしまうのか。すれ違ってしまったのは、これもまた時の運命に思える。同じ時を生きているようで、また違う時間を生きているこの子たちに思いを馳せて、再び山へ登ってみようと思う。


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一月廿五日

メリケン波止場の灯が見える


夜から神戸へ行く。今日からルミナリエが始まったらしい。それはまた後日観に行くとして、本屋を見たり食事をしたり平和な時を過ごした。薄々自覚はあったが、自分には突然ボーッとする癖がある。それをたまに指摘される。今夜も、ご飯を食べていると、ときどき上の空になるのは何故と心配されてしまった。何を考えていたのか、言ってしまうとその場の空気が澱んでしまうので云わなかった。愉しい場面で憂い顔を見せるのは、良くない事とわかってはいるが、考えると止まらない。逢うひとには、自分の取扱説明書を渡せたらどれほど楽か。深夜0時頃に帰宅。薄暗い姿鏡に顔を映せば、眉間に縦の皺一筋。


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一月廿四日

油断禁物


朝から怠く、どうにも活動する気になれない。昨日は無茶をしてしまったか。仕方がないので、映画を観た。少年期という戦後6年経ち撮られた映画で、戦時下の東京の中学生が田舎に疎開をした先で馴染めなかったり、思春期故の親への反発心など色々なテーマで構成されている。中学生が疎開するというのは、あまり聞かない話だが、東京では許されていたのだろうか。あまり戦時下を感じさせない内容で、動員や空襲の話はない。映画が公開された頃は、まだ戦後6年ということもあり、振り返るには早過ぎるのかも知れない。しかし、主演俳優の演じる少年は、警報の度に先に疎開している母の元へ逃げ、学校では喧嘩もできないほど弱いのでイジメられても仕方がない。映画なので、同情を買う少年像の方が良いのはわかるが・・・・。余計に熱が出てきたので、一日布団に潜っていた。「晩御飯シチュー」


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一月廿三日

すっかり


体調が回復したので、いつもの爆走を決め込む。風邪が一日で治ってしまうのは、若さ故の免疫力か。あまり馴染みのない街で散策をした。黄砂だろうか。明石海峡が霞んで見えた。知らない街、もっと行っておきたい。「晩御飯 播州ラーメン」


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一月廿二日

この頃のこと


しばらく日記をサボって仕舞った。 この頃は珍しく体調を崩す事が増えた。気が弱っている証拠であろう。今年の川崎航空機の戦災犠牲者慰霊式典は一月十七日に行われた。すでに参列の遺族は一人もいない。それどころか、現在の工場職員を除く一般参列者は自分一人しかいない。というのも、今なを生産工場なので、基本的には関係者しか参列出来ない様子。工場内に入ると身体が重くなる。去年の慰霊祭では、骨折の治療中で松葉杖をついての参列だったので、頭も身体もフラフラで大変心配をかけた。式典が終わり、工場のエライ人がわざわざ門前まで見送ってくれた。今後ともどうぞよろしくお願いしますと言われたとき、何故か報われた気がした。語り部の活動をしている事は知っていても、参列については奇妙に思われている気がしていたからだ。こうして工場の一員として認められている事を誇りに思う。殉死者の思いを身体に込めて、心から供養していきたい。


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一月十四日

昨日の如く


明石にて用事。呆然と海を眺めていた。 数々の友の顔が浮かんでくる。あの日以来、消息を探し求める事はやめた。何食わぬ顔で訪ねて歓迎される様な事は決してないのだ。灰色の記憶の中の俺に色をつけて欲しいという願望は、禁忌に触れる心地がする。今の俺には父が、友が、フアンもある。その中で愉しい思い出を作れば良い。


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一月六日

日常に戻る


正月休みが終わり世間では仕事初めの月曜日。早朝から家を飛び出してひたすら走る。朝焼けに染まる農村地帯をまさに疾風の如く。益々やる気が湧いてくる。矢張り人間は心拍数を上げることが健康に繋がるのだと思う。特にかわった事はないが、新年の良いスタートを走り始めた。玄関格子の向こうに黒い人影あり。


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一月四日

三が日過ぎ


早くも正月三日が過ぎ、正月ムードも終わりに近付いてきた。今日は特に変わったこともなく、のんびりとしていた。元旦に点てた目標も忘れてはいない。のんびりと言えども、一時間走り込み、勉強に励み有意義に過ごせた。中学時代に戻り、漢文を復習している。こう見えて漢文の成績が最悪だったので、嫌いな科目であったが、先日偶然に古本屋で参考書を発見して購入。相変わらず頭が痛い。自分は体育会系であるから、淑やかに本を開いて勉強することが苦手である。しかし、何かの発見になるかも知れないので、続けて行こうと思う。


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一月一日

元旦


年が明けた。何度目の正月!俺は今年15歳になった。今年は戦後80年の節目であるから、語り部の活動も一層気合を入れて頑張ってゆこう。そして、今年の目標は、先ず一所懸命に日々を生きる事。すぐにカッとならぬ様に冷静になる事。しっかりすること。挙げればキリがないけれども、去年の己よりも良く在りたい。心新たに、襟を正して頑張ろう。


飼っている錦鯉


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十二月廿四日

この頃のこと


日記を書くのが開いてしまった。この頃はじわじわと沈みがちだったが、無事に回復。俺が明るく居られるように、美しい指輪を贈られたからに違はん。宝石や装飾品に興味はないが、自分を思ってくれる気持ちに勇気が湧いてくる。これを機にモダーンボーイを目指しても良いのかも知れない。青いソフトに青い背広、頭髪をガッチリ固めて・・・。自分は大人になることがあるのだろうか。兎も角、年の暮れも近い。元気で行こうよ


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十二月十五日

俺が心の良人なら君は心の花の何


10時半起床。ボンヤリしていた。15時までボンヤリして、商店へ部屋の敷物を買いに行った。色々ブラブラしているとええ時間になっていたので、晩御飯を食べに行く。ゆったりとした和食屋。天井を眺めていると、天井のスプリンクラが煤けているのに気がついた。火を噴いたかの様に黒くなっていた。天井裏の機械設備が不具合を起こしているのではないかと考察していた。工場などでは天井の化粧板がなく、配管の問題がすぐに分かるが、この場合天井裏に這入るよりほかない。建物の老朽化も気になるところ・・・など考へ、天井を見詰めて上の空。食後のサンデーが美味かった。リハビリセンターと良い勝負だ。明日は月曜日。元気で行こう。「今年最後の満月」


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十二月十四日

菊開花


庭の菊花が咲き始めている。去年に植えて放置しているが巨大化しているように思へる。色々遊んだ。夜は店で海鮮丼を頂く。料理の出てくるのに30分もかかり、寒い店内で困った。味はとても美味にて良し。今夜は今年一番の寒さ。どうりでちぢこまるわけだ。


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十二月十三日

元気で行こうよ


今日も元気だ。昼ご飯は東条でトンカツ定食を頂く。いつも閉まっていて今回で二度目の来店。その謎が解けた。昼は14時半でラストオーダーであるから、いつもこの辺を通る時間帯は既に閉まっていたのだ。静かで高級感のある店内は、大変寛げる。料理の値段も安いと思う。またいずれ紹介しよう。帰宅後は水槽の水換え。錦鯉の水槽はすぐに汚れるので大変。あとは畑の野焼き、庭の片付けを頑張った。色々手間取り晩御飯の支度が出来ず。カツのたまごとじ弁当を買ってきてもらった。ゴデバのチョコスイーツもおおきに・・・


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十二月十二日

不思議な縁


珍しくファンの男子と電話をした。俺の撮っている動画の話で盛り上がり、打ち解けてきた矢先に戦争中のことについての話になり少々困った。自分の思っているままに話すことは、相手にとってそれが正解のようになってしまう。とくに、俺の如き語り部で活動している者への信頼もあるだろう。実際はどう思っていたのかなど、住んでいた場所や年齢、立場などで全く異なる。しかも、同じような身の上でも熱血少年か否かで温度差もある。こればかりは一概に語れない。多くの体験談や語り部、身近な年寄りに聞いてみるのも良いと思う。彼も俺の様な人物は珍しい様で、そのほかにも質問責めを受けて困った。アニメ、漫画、テレビYouTubeは見ない。ゲームはしないというだけで、大変驚かれた。単純にじっとして居られない体質だからというのもある。彼とは何から何まで接点がなかったが、若い男子との交流が乏しいので貴重な友として交流していきたい。「語り部の活動に来ている大学生の子等には避けられている」俺が偉そうだからに違わん。それはさて置き、右手の震え激しく手紙書けず。夜更かし気味


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十二月十一日

べっちょない


昨日とは打って変わって元気な一日だった。いよいよ寒くなり、気が沈んでいたのかも知れない。日々のストレッチも習慣付けたいと思う。明石で用事の後、例のサンデーを食べにリハビリセンターへ行く。いつ見ても開放的な院内は、病院のそれとはかけ離れていて、ホテルのロビーの如し。通い慣れたスーパーにてA5の黒毛和牛すき焼き肉を買った。二時間かけて帰宅後、すき焼きを作った。我が家では週に一度はすき焼きを食べている。作る手間がかからない上にうまいので、冬の恒例行事だ。贅沢に見えるが、一汁三菜を作るのと同じ様な材料費になるので、実質変わりない。兎も角、身体が元気になったのでよかった。


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十二月十日

気晴らせず


酷い悪夢で目出さめる。朝の冷え込みが厳しい時間帯から家を出て、野暮用へ行く。終わらせてから、有馬温泉のカフェで朝食をとろうと思い向かうも、カフェには入らずに家路を急いだ。結局サービスエリアを裏口から入りとんかつ定食を食べて帰宅。時刻は朝11時。一通り家事を済ませて、家の片付けをやる前に仮眠をするつもりが、起きた頃には夕方5時になっていた。またもや悪夢に魘されて疲れを感じた。近頃の寝不足がまずかったのかも知れない。昨日と同様、何かと気疲れする一日だった。明日は健やかに暮らしたい。チイカワチョコを食べた。


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十二月九日

気疲れ


新開地にて集会。大阪大空襲で被災された方の体験談を聞いた。当時の懐かしい思い出なども含めて淡々と話をされていたので、参加者も聞きやすかったと思う。しかし、この集会で気が張ってしまい、どっと疲れが出てきた。そのほかにも要因があったのかも知れないが、身体が思うように動かないので、帰りは迎えに来てもらった。晩御飯に寿司でも食べて帰ろうと提案されたが、目眩と吐き気でそれどころではなく、帰宅して呆然としていた。どこかで気を晴らさないといけない。


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十二月八日

欲深


特に日記に書ける様なことはない。日曜は平日に比べて冒険がない。色々な欲は増えてくる。色々反省すべき点もある。


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十二月七日

草取り名人


庭の草取りを頑張った。大晦日までに門前辺りは綺麗にしておきたい。今年の夏に刈り損ねた背の高い草を鎌で刈り取る。ほとんど枯れているので、さほど苦労はしなかった。二時間ほどの作業でそれなりには綺麗になったが、道のりは遠い。こういうのは、日頃からマメにやるべき事なのだと痛感する。うちにも庭師が欲しいものだ。夜、田舎のイオンで晩御飯を食べてから買い物。お菓子の福袋からお歳暮の羊羹まで色々買ってもらった。さらに夜、女の子から連絡があったが、メッセージが消えているので何事かわからない。この場合はどうするべきか、男の器量が試されていると思う。模範解答を後で教えてもらいたい。「君を花で例えると菖蒲」


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十二月六日

忙しない日


野暮用を済ませてランチへ行く。中華料理酢豚定食をいただく。友人から明石に来ていると連絡が来るも、この日に限って西の果てにいたので会えず。用事を済ませてから更なる会合に参加し、帰宅が遅くなったので晩ごはんにカレーを買ってきてもらった。牡蠣フライのカレー、この様な豪華なご飯が当然の様に食べられる環境に感謝しなければならない。下は昔の写真。自作の短歌と、表情の緩み具合から、色ボケしていたと見える。そしてかなり痩せている「今日も手紙書けず」


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十二月五日

わけ分からん虫


部屋の片付けに手をつけた。途方もない道だが、何とか進めていきたい。本棚の整頓は、難行熾烈を極める。気になる本が多いので、気が散ってならない。成るだけペーヂを開かない様に並べていたが、飛燕の解説書を発見。養父の物だろうが、自分の知識と違いのある箇所があることに驚く。信用の出来る出版元なので、間違いではないのであろう。持ち主の養父に訊ねようと思ったが、話が別のところに飛び火しそうなので止めた。なぜか風水の本も発見。オカルトやスピリチュアルはガラではないガラなのに、なぜこの様な本があるのか。それはさて置き、資料関係の古い本が多いので、変な小さい虫が湧いている。どうにかなるものか。殺生は自分の中で禁忌だが、貴重な本がやられるのは困る。また、逃れようのないエゴが発生している・・・


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十二月四日

あの歌は今


空気の澄んだ朝。清々しい気持ちで庭を歩いた。サザンカは満開だが、椿はまだ蕾である。水仙のが芽を吹き、開花の時を待っている。まだしばらくかかりそうだ。裏庭は見なかったことにしよう。部屋を少し掃除した。明日は衣替えと、本がたくさんあるので、わかりやすい様に整理したい。本棚はあるものの、押入れの中にあるので存在を忘れて仕舞う。本などは身近にないとなかなか読む気にはなれないものだ。昨日は寝室の机の奥底から吉井勇の詩集を発見した。懐かしい。明石時代には読み耽っていた。あの頃の多感な時期に良質な詩を読んでいたおかげで今の感情が磨かれている。今読んでみても、言葉の表現が素晴らしい。自分にはとても真似が出来ないものだ。その他にも、航空軍歌集を発掘。ポケットに入るサイズの小さな詩集だ。これは、飛行機関連の軍歌がたくさん書いてある。おおよそ歌えるほど有名どころが揃っている。今では軍歌を唄う機会はないけれども、たまに思い出して、鼻歌を奏でることがある。なかでも、明るい軍歌は楽しい。いわゆる非常時の、切羽詰まった軍歌は避けてしまう。それでもやっぱり、好きだった歌手が歌っていたということで、そのような軍歌ばかり頭に浮かびがちである。これには昔ながらの軍歌であるような、「敵にはあれど亡骸に花を手向けて・・・」という風な、敵をも尊重するような文句は少ない。撃てや叩き潰せなど物騒なものになっている。もはや当時は仕方がなかった様にも思える。実際はまだよかったものも幾つかはある。たくさんの軍歌を覚えている中から、精神的に無難なものを選び、散歩の友にしている。それでも、人に聞かれてはならん。戦争に負けた以上は負の遺産になっていることは間違いではないであろう。いつか、戦死したある兵士の顔写真を雑誌から切り抜き、軍歌の文句と共に部屋の壁に貼り付けて叱られた事を思い出す。少年の日、遠き日。のはずが、今でも少年である・・・・


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十二月三日

昔を偲ぶ


明石にて用事。今日も今日とて、海辺にいた。昨日は鵯越の山の上から見た景色が、目の前にある。自分の生活圏が広いのか、狭いのかわからない。距離が掴めない。眠たい。色々調べたい事があったけれ共、ボンヤリしていておぼつかない。ないない節になっているので、今日の日記はこの辺にしてをく。


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十二月二日

無限の体力


チャリで家から神戸三宮まで行った。着いてからも散策していたので、合計80キロはエンヤコラ漕いでいた。しかし神戸の山をナメていた。六甲山の裏側、鈴蘭台あたりから南下する道中、幾たびの急勾配の坂があり、上がり下がりを繰り返した。それが突然、鵯越から下る一方。どこまでも続く下り坂に、帰りの苦労を思い描き焦った。長田神社を過ぎて、新開地、神戸、三宮と走る。第三突堤の船着場にて休憩。時刻は午後3時半を回っていた。急いで帰らなければ、峠を越えられなくなるので引き返した。16時長田神社通過。鵯越から丹生山麓に着き、つくはら湖あたりで日が暮れて、真っ暗になった。ここからは街灯もない。チャリの電灯を頼りに神経を尖らせる。それから一時間近く走る。家までは無事に帰れたのでよかった。写真は遙彼方の明石海峡「晩御飯すき焼き」


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十二月一日

正月の準備


今日から十二月。一段と寒くなった気がする。村の神社では、正月を迎えるための準備が行われている。我が家では掃除をするくらいの行事だが、掃除が大変なので今から始めても間に合わないであろう。出来る限り物を減らして行こう。年賀状の準備も今から始めよう。来るべき日に備え、身体を鍛える。いよいよ気を引き締めて励もう。


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十一月三十日

注意を怠らない


去年の今頃は、チャリで道路工事の鉄パイプの柵に激突して宙返り、そして右足を骨折する事故があった。歩道の坂道の終わりに、鉄パイプの柵が突然出現して、目前で気がつくも時既に遅し。一つ目の鉄パイプに衝突後、さらに奥の鉄パイプにも衝突。チャリが身体の上に降ってきた。立ち上がった時に、骨折していると分かった。頭も強打し、至るところから出血していた。しかしどうしようもない。骨折で救急車を呼ぶわけにはいかない。諦めてチャリに乗って帰ることにした。経験したことのない痛みに耐え、タイヤは曲がり、ブレーキも壊れたチャリで、家まで20キロの道を漕いで帰った。病院へは行かないつもりだったが、ビッコになると説得されて、三日後に受診。やはり骨が折れていて、全治二ヶ月。一ヶ月半のギプス松葉杖生活が始まる。 これからが大変だった。また、後日談をまとめようと思う。明日から12月。頑張っていこう。


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十一月廿九日


最近の詩は散文詩になっている。話し言葉で詩を書くとおもしろい。自分の声で再生される。試しに録音してもおもしろい。声が低すぎるのか、デカすぎるのかでいつも音割れしている。周波数の特性上、低音男性は声が小さく聞こえる。優しく囁くようで良いとは思うが、自分はダントツで低いのでそうもいかない。腹の底から張り切って、爆発的声量で話すとやっと聞こえるくらいであろう。


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十一月廿八日

弔花


庭の白いサザンカが咲き始めた。日毎に寒くなる。納戸の窓から北風が吹き抜けると、机の上の書きかけの手紙が飛んで行った。去年の夏に書きかけた手紙が時を止めて、今もなをあの日の思いを留めている。


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十一月廿七日

立ち寝


モーレツなる眠気。日記をその日の晩に付けることの難しさ。用事を済ませて帰る途中、ザアザア降りの雨に打たれた。俺の身の穢れまで洗い落として呉れ。今夜は手紙の返事を書きたかったが手に若干の震えあり。タイピングも儘ならぬ。今にも眠りそう。


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十一月廿六日

野菊卸し


一日中雨。一日中何をしていたのか思い出せない。布団に居た様な気がする。怖い夢を見ていた様な気がする。夢ではなかった様な気がする。身体が傷む。


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十一月廿五日

小舟


明石で用事。舞子浜にて、海岸の岩に寝転がっていると、波の寄せる音や船の汽笛が聴こえた。自分自身が、岩に、波になった様な感覚になる。或いは、岩が小舟になって、ゆらゆらと波間を漂っている。心地良かった。暫く会っていない友人から連絡あり。この頃は時の流れが激しくなっているから、皆んな焦っているらしい。時の中を漂っている俺の小舟は、頑丈な手綱で結ばれている。周りの人には、同じところで浮いている俺の事が魅力的に見えるようだ。それがどれほど惨めなこととは知らずに。過ぎゆく人がじっと観ている。


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十一月廿四日

ハワイから


ハワイ土産のチョコレートをもらう。鬼ヶ島から憧れの島になって久しい。十二月八日が近い。


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十一月廿三日

窓の雪


昼飯に買って来てくれたミックスフライ弁当が美味かった。色々あり行動は夜21時から。サービスエリアにて夕食。ミックスフライ定食を食す。とても寒い夜で、気温は6度しかなかった。夜空を眺めていると、満天の星が見える。冬の空は美しい。それから家に帰りボーッとしていた。何も手が着かないので、諦めて布団に潜り思いに耽る。中学時代の思い出から始まり、先生のこと、明石の事が思い出された。それからは思考が止まらなくなった。特殊な環境下であった青春時代が、二、三日前のことに思へ、恨みのような念が湧いてくる。自分はあの瞬間からはかなりの時が経っているので、今更心配になることはない。今は何も不足なく、平凡に暮らしている。しかし、いつあの瞬間が夢から覚めた様に戻ってくるか知らん。絶対安心と言うことはない。そう言うふうに生きなければならない。それが今かも知れないと怖気付き、隣の部屋に居た養父を呼んだ。大汗に白い寝間着がビッタリと肌にくっつき、窓に映った自分の姿が、あたかも死装束に見えた。外では雪が降っている。雪が降っとる。おとん


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十一月廿二日

凄人


あまりにも忙しい日で、読書も出来なかった。とても眠たいが日記を書く。ところで斎藤知事、怪しい疑惑が出てしまっている。このような密告者がいれば簡単にバレてしまい選挙法に触れる事を、遂行できるものだろうか。知事選ともなれば、絶対にバレないことでも、疑ってかかるものだろう。あまりにも不可解な話。周りは全員敵と心得て行動しないといけないように思う。しかし元彦氏、打ちのめされないか心配。今度の選挙に出てこれるほどの精神力があるから、これも大丈夫であって欲しい。「16時ポテトLテリヤキバーガー」「晩御飯・焼きそば、豚トロ、赤だし」「シフォンケーキ」


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十一月廿一日

流れつくもの


夕方、明石の海岸にて。燃ゆる西陽が、凍てつく水面を照らす。十一月も後半の、北風吹きつける砂浜に、腰を下ろして眺めていた。ここへ来るといつも思う。自分は故郷に居りながら、全く故郷を見ている心地がしない。それを疑い始めると、己の中の故郷は何か、あの日の感動、情熱は何だったのか、全てが揺らぎ始める。何がどうして道を迷ってしまったのか、思い出せないほど、混沌とした時の中で、自分なりの逃避行だったのかもしれない。


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十一月廿日

平凡な日


村の図書館にて郷土資を漁る。移住してから二年、今までは明石神戸のことばかりで知った気になっていたが、このような田舎にをいても、盛んな特産物や、生産業が行われていた事をこの二年で学んだ。己の世界は、いかに狭かったこと。兵庫県中部から北部にかけては、現代でも交通の便が悪く、明石神戸などの南部に住まう者は何があるのか全く知らない人も多いことだろう。実際、高齢化に伴う過疎化が進んでいるように感じる。我が山村に於いても、現役世代に会う事がほとんどなく、年寄りと少しの子供、廃校になった小学校の廃墟がいくつかある。山田錦名産の地とは謳っているが、今後どのように次世代へ繋げていくのであろうか。まだまだ郷土資を紐解く甲斐がありそうだ。


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十一月十八日

澄んだ空


明石にて会議。今日の空は澄んでいた。淡路島まではっきりと見える。何か新しい事が起きそうな気がする。これからは、自分も真正面から、自分の運命と対決しようと思う。夜、あまりの睡魔に倒れる。


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十一月十五日

湯煙消ゆ


特に用もなく、有馬温泉へ行った。チャリで。唯一の様としては、炭酸温泉を飲んでみたかったというのがある。しかし、現在故障中という事を知っていたので、炭酸の源泉には行かず。昔はこれでサイダーを作っていたらしい。復旧したら行ってみたい。遅くなると峠を越えられなくなるので、早めに引きあげた。


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十一月十四日

山に挑む


家の裏山へ登る。裏山とは云へ、玄関戸を開ければそこが山である。陽が西へ傾いていた時分。山間部は陽が暮れるのが早く、十五時でも山の中は薄暗かった。目が霞んでくる。普段から登山者は少なく、この時間から山へ入る人は居ない。40分ほど登ったところで、引き返すことにした。山頂までは二時間。帰る頃には真っ暗になっているであろう。所々崩落している登山道を急いだ。今にも猪が出て来そうで気が張る。自然をなめてかかると良くないと思った日。家に帰ると、小包が届いていた。


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十一月十三日

たわむれ


庭のサザンカもいつの間にやら八分咲きになっていた。冬の近きを思う。 午後から近所の山寺を散策。若干の紅葉が愉しめた。この頃は都会で贅沢をし過ぎていたので少し自重したい。


庭のサザンカ・山寺の紅葉


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十一月十二日

鹿嶋神社の思い出


電車の車窓から、加古川の山々が見えていた。なかでも、鹿嶋神社のある山を思い出す。このあたりは、妙に懐かしく、縁のある場所に思える。かつて友人と、曽根から、あるいは宝殿から時間をかけて歩いて、参道にある小さな商店を見て回り、見晴らしの良い山の上まで登った。友人は、死んだ母と共にこの山へ登り、この景色を眺めていたと、話していたように思う。奇しくも地名は阿弥陀町という、現世離れしている地であることも、何かあるのではないかと思う。もう一度、ゆっくり訪ねてみたい。↓ 鹿嶋神社のある山々の写真2020年秋


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十一月十一日

遠い昔


明石舞子を散策した。海辺はよく行っているが、商店や民家のある北側はあまり馴染みがない。何やら 太古の古墳がある様なので、行ってみることに。竪穴式住居跡と、古墳が発見されたという丘には、当時の家を再現した茅葺があった。遠い昔、ここで人々の暮らしが営まれていたことに、明石の歴史の深いことを考えさせられた。丘の芝生の上に寝そべり、そんな事を考ていると、陽が暮れかかっていた。これから山田錦の郷までチャリで帰らなければならん。40キロ! そんなことを言っても、みんな冗談だと思うらしい。自分は疲れない体を持っているので、歩いてでも帰れる。晩御飯はうどん屋のうどんを食べた。やはり、スーパーの45円のうどんとはワケが違い、美味かった。明日からも頑張ろう。


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十一月十日

生傷に這う故郷の砂


考えても、どうしようもない事を考えるのもまた、人生の醍醐味だと痛感する。考えること、悩む事を放棄してしまうのは楽だが、若さ故の悩み、その日その時々の悩みの種は、今後の人生の解決策を考える力を養う。以前よりは、瞬時にどうすべきか、考えが思いつくようになっている。魂の面では、成長しているのかも知れない。秋が深まっている。今年は、干し柿を作る暇もなかった。まだ、間に合うだろうか。


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十一月九日

昔ながらに変わらぬもの


いつもの河原にて石の上に寝そべり空を眺めていた。頬におちる陽の熱さよ。触れてみると、今年の夏を思い出す。看病つかれの慰めに、更なる空虚を求めて来たものが、秋の侘しさも昔の事となってしまった。今夏一面に咲き乱れていた桔梗の花、今は見る影もなく萎れている様には、自分が気づかないうちに季節が、時が進んでいる様に思う。昔ながらに変わらぬものは、川の流れ。田畑の傍の無人販売で、ジャガイモと人参を買う。晩御飯はシチューを作った。シチューと言えば、雄岡山の麓にシチューが名物のレストランがあった。昔ながらの洋館で、御影公会堂を設計した人物と同じ人だったような記憶がある。また、寒くなる頃に行ってみよう。


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十一月八日

六間道に吹く風


病院の付き添いで神戸へ行く。退屈なので、自分だけ長田六間道商店街を散策した。震災以降に寂れてしまったという商店街だが、まだまだ活気があるように思う。六間道商店街の歴史は古く、大正時代からの歴史がある。かつて、ソバメシ発祥の店、イカリ屋に来た事を思い出し、店の前に訪れた。店内が満員なので、通り過ぎて散策していたら、まもなく呼び出しの電話があり商店街を後にした。ファミレスで昼食を食べ、家に帰った頃は十六時を過ぎていた。特に何もなく、平和な一日。 保険屋にモロゾフとパンをもらったらしいが、この保険屋、恐らく父に惚れている。


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十一月七日

語り部の活動


東京から神戸へ修学旅行で来ている高校生を相手に、神戸の戦災史跡を歩いて説明して、最後には生徒達で戦争をテーマに意見を出し合って発表してもらった。これは自分が立ち上げた団体とは異なり、行政、学校と連携して活動している団体なので、信用に傷がつかないように慎重に説明などを行った。グループに分かれ、生徒20名を引率して町を歩く。これだけでも神経を使った。神戸は歩道が狭く、危険な道が多い。二列に並ぶように号令をかけるべきだったなど、後から反省。興味がないのか、聞いてないような生徒もあった。自分の話術が足りないように思える。ゴールの御影公会堂ホールにて、パネルの前に生徒を集めて、空襲の様子や防空壕の説明をした。この頃には生徒も打ち解けて、友達の様に語り合った。答えに困る質問を投げかけた生徒があり、その問いに動揺してしまい、感情的な話になってしまったことを反省。その問いは、戦争があったから今の技術や医療は発展しているが、それについてどう思いますか。という質問だ。今の自分では何が正解かわからず、永久に答えは出ないであろう。反省点も多々あったが、先輩の語り部メンバーからは良かったとのことなので、自分の活動の修行として、これからも続けて行きたい。生徒たちに、自分はいくつに見えるか訊いて見たところ、15歳、16、18歳が上がった。どこかの先生には見えていなかったらしい。それが強みだと先輩語り部が言った。学生服、着ていくべきだったか。


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十一月六日

冷たい風


以前から体調を崩していた養父が半ドンで帰宅。マクドを買ってきてもらう。体調が悪い時に例の一件は悪かったと今更思う。午後から一人で出かけた。夕方の風が寒く、秋が終わった様に感じた。なんだかしんみり。寒くなって心にも北風が吹き抜けないように、いよいよ張り切って運動をしていきたい。


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十一月五日

浄化される


昨夜のそれから一夜明け、気分はうって変わり友人と遊ぶ。明石海峡大橋にて、タコ飯定食を食べた。海の景色を楽しみ、美しい写真を撮り、明るい会話で1日楽しめた。やはり、人間のコミュニュケーションは会話である。明石海峡大橋のミュージアムは初めてではなかったが、おもしろかったのでまた記事にまとめようと思う。


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十一月四日

揺れる心


養父に対してとんでもない暴言を吐いた。一分くらい続いたと思う。全てが爆発。すべてにをいて余裕がなく、キレる理由を探していたのかも知れない。恐らく今までで一番激しかったと思う。縁もゆかりもない自分を、家においてくれている恩人に対して、まずかった。けれども、許してくれるだろうという期待もあった。子供の試し行動と似た心理なのかも知れない。一つの理由として、口に出さずに態度で感情を表してくることが不満だった。いかにも日本人の中高年の男性の特性であろう。会話というコミュニュケーションが取れる人間同士、それを放棄することは問題に目を背けている様で、全く男らしくない。いや、悪い意味で男らしいのかも知れない。女性でも会話を放棄したがる層は一定数居る。 声を荒げてしまったのは、会話が通用しない相手であることがわかっていたからでもある。 一時的に険悪になったが、その夜に和解した。人間が分かりあう最もの手段は話し合いだと思う。相手が明らかに格下でも、何が問題なのか相手の目線に立ち、自分の意見も伝える。会話が足りない現代人こそ、面と向かったコミュニュケーションから逃げてはならないと思う。この様に書いているが、自分が何故爆発したのか、養父に言えずにいる。自分もまた、義理に押され、険悪になるかも知れないという理由で、コミュニュケーションから逃げているのである。


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十一月二日

地響き


朝から土砂降りの雨。11月なのに台風が近づいているらしい。家の犬が散歩に行きたくて暇そうな顔をしていた。晴れ間を見計らい、犬を散歩に連れて行く道中、凄まじい轟音が聞こえる。山の麓にある我が山村は、雨が降ると鉄砲水のように川が流れる。氾濫寸前の川を見て、怖気付き、高い場所へ向かった。昔、平野村でも凄まじい豪雨があり、村が水没しかけたことがあった。ここは大丈夫だと思っていても、数十年に一度の危機が迫っている場合もある。自然を甘んじてはならないと思った。急いで家へ戻ると、家の前の私道が滝の如く雨水の流れ、側溝が土砂で埋まっていた。急いで土砂を撤去して、大事には至らぬものの、流木や枯れ葉が散乱しているので、明日は速やかに片付けよう。無事で帰れて良かったと思う一日であった。昨日の手紙・長崎へ来たれの走り書き


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十一月一日

サツマイモの謎


半ドンで帰ってきた養父と買い物へ行く。田舎の小さなスーパーに、焼き芋が売っていた。どうせ家でも作れる、野焼き芋の方がうまいに決まっていると、たかを括っていた。食べてみると、それの十倍くらいうまかった。それもそのはず、焼き芋に適した芋と、普通の食卓に並ぶ安価な芋とでは味が違っていて当然である。スーパーの芋と、畦道の無人販売で農家が売っている芋でも味が違う。無人販売の芋はスーパーの半分の値段で買える。これぞサツマイモといった味がする。しかし、味噌汁に入ったサツマイモや、雑炊に混入するさつまいもを毎日食べていた時期があったことが原因で、焼き芋以外ではあまり食べたいとは思わない。家に帰ると、長崎から自分宛に手紙が届いていた。


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十月三十一日

後に続け


今日こそはゆっくり仕事を片付けようと、テレワークスペースへ出かける直前に、友人に誘われて、どうしてもと言うので街へ向かった。貴重な経験ができたので、行って良かった。やはり、人前に出て活動することは、バッシングや事実とは異なる噂をばら撒かれるなどのリスクも大きい。影響力のある人物なら尚更、何となしに言ったことが大ごとになることもある。しかし、そこで叩き潰されることなく、一歩も引かない、前に出るのが本当の真なのだと思う。


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十月三十日

ふるさとの灯台


 今日は友人と明石へ行った。20日の日記にある、古い灯台が今どうなっているのか、観に行くことに。最後に見たのは確か2年前。結構長い間フェンスに囲われていたように思う。明石公園のお堀を横目に、港へ向かった。リニューアルされていたらしく、スッキリして観光地のようになっていた。灯台の台部分は昔のままで、上だけ新しくなっていた。灯台の記事は後ほど「愉しかった場所」ページに纏めようと思う。灯台を後に、いつもの林崎へ向かった。少し探検しようと言って、林崎駅前を十分ほど歩いた後に、川崎重工の身代わり地蔵尊へ参る。ここでついに、身代わり地蔵と共に写真を撮ることができた。今までは気がひけていたが、今日ばかりは撮っても良しと感じた気がした。友人にとってもらった写真は、自分にしては表情も明るく、なんだか別人のように思える。きっと良い方向に変わってきたのかもしれない。地蔵尊を後に、川崎航空機時代の寮跡の、リハビリセンターにて、例のサンデーを頂く。やはり、この世のものとは思えぬほどにうまい。抹茶味もあるらしいので次に期待。晩御飯のしゃぶしゃぶの材料を、懐かしのスーパーで買って帰宅。今日は何かと充実した日が過ごせて良かった。きっと、自分の行く末は明るい。


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十月廿九日

ライスオム八個


 雨の降る前に、家から村内を一望できる山まで走った。じんわり汗ばむ。去年まで眺めが良かった場所も、いつしか草木が茂り、隙間からしか景色が見えなくなっていた。あまり人が入っていないのであろう。それでも、山の良い空気を吸い込めたので満足。家に帰ってからは、また呆然としてしまった。何をして、何を考へて居たのかも思い出せない。晩御飯の支度も出来ずに、コンビニ飯を買ってきてもらった。オムライス弁当。飯の少ないことに閉口。これなら弁当が八個くらいで満腹になる量である。萬年育ち盛りの自分には少なかった。オーブンで焼き芋を作って食べた。野焼きの芋よりもうまい気がして、色々進化している様に思える。そんなこんなしていると、いつの間にか日付けが回ってしまった。いい加減に、俺も真人間になりたいと思うこの頃。


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十月廿八日

知らない街


 午後から街まで遠征。帰りに雨が降ってきたことには困った。ケーキ屋に併設するカフェにてショートケーキとカフェオレを頂く。ケーキの値段が600円と言うことに驚愕。高かったが、かなりうまいケーキだった。家に帰り、呆然としていると日が暮れていた。この頃、呆然とすることが増えてきた。明日は雨の予報。


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十月廿四日

矛盾


 体調は若干良くなったと思う。左脚と右手に神経痛が出現する。先日、友人が送ってきた戦闘機の写真は、倉敷のバイク屋が所有する飛燕の実寸代レプリカらしい。川崎航空機で飛燕を作っていた話しを覚えていたらしい。その飛燕は、料金を払えば搭乗させてもらえるそうなので、一緒にどうかという話であった。正直キツい気持ちがある。自分の内では、戦闘機は死を連想させるものであり、これを作るためにどれほでの人間が傷つき死んでいったかと思うと、それに乗ることはレプリカであっても恐ろしい。しかし、戦闘機の生産は国防のためにやむを得ず、国民の命を守る剣なのだと言はれても納得してしまう。この大きな矛盾が、戦争の本質なのだろう。まだしばらくは、この問題にも客観的に向き合えそうもない。友人には、飛燕はいづれ観に行こうと伝えた。明日は用事があるので早く寝よう・・・現在am01:41分


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十月廿三日

いきいきごんぼ


 相変わらず体調が悪い。外で少し運動しようと思ったけれ共、何もする気になれず。深夜に友人から電話あり。明日会おうと言う話だったが、病状を伝え断った。数ヶ月前に川崎航空機の寮跡に連れて行ってから、何かと調べ始めたらしく、感心する。また近いうちに会おうと電話を切った。その直後、友人から戦闘機の写真が送られてきた。なんと返せば良いかわからず沈黙。今日は何も出来なかったが、風呂に入れたので良しとしよう。


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十月廿一日

病は気から


 昨晩から体調が悪くなる。とても珍しいことに風邪に罹った様子。養父の風邪が移ったらしい。しかし、ありとあらゆる感染症に罹らない体質なので、これが風邪かも怪しい。ただの神経衰弱もあり得る。運動が足りなくて病んでしまはないように気をつけよう。


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十月廿日

寒い日


 朝、外へ出ると寒さに驚く。村の野菜販売所でさつまいもを購入。焚き火ついでに焼き芋を作ろう。この頃は、やけにボーッとする。今まで考へ過ぎていただけかもしれないけれ共、眉間の深い皺も寄りにくくなった。サツマイモを見つめつつ、ボーッとしていると、いつの間にか眠ってしまっていた。夢の中で、明石の古い灯台を見た。今では登れなくなっている灯台から、淡路島をながめていた。夜、突然孤独に駆られる。灯台のところに戻りたいと強く思った。けれども、きっと今この瞬間が一番幸福なのだと思う。


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十月十九日

お菓子がうまい


 お菓子が美味かった。夜から出かける。


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十月十八日

因果


 一日中呆然としていた。石灯籠の影で数時間。時が流れてくれるのを待っていた。時計もカレンダーも全く当てにしていない。俺には関係ない。


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十月十七日

記念樹


 例の峠を再びゆく。今日は誰ともすれ違わなかった。探検の道中、古そうな石碑を発見。昭和二年度の小学校卒業記念樹を植えた際に建てられた様子。俺の生まれ年なので、妙な気持ちになる。 しかし、木が沢山あってどれかは分からないが、この一帯にある木々は全て卒業記念樹なのだろうか。 我が家でも、引っ越したときに、記念樹を植えようという話が出ていたが、俺は拒んだ。時が経ち、何もかも変わって仕舞ったときに、一人で記念樹を見る事になると思うと悲しい。そんなことを考えている間に、石碑の前で数時間の時が経っていた。 この頃の卒業生は生きていれば100歳を超えている。東に傾いた石碑は、夕陽に照らされ、淋しそうに項垂れているように見えた。


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十月十六日

行きずり


 今日はいつもとは違う町へ探検に行った。目的地へ向かう峠にて、大荷物を担いだ婆さんと遭遇。勾配の激しく、ひと気のない峠道を一人で歩いていたので、不思議に思い顧みると、婆さんもこちらを向いていた。声をかけようとしたものの、何となく不気味でそのまま峠を下る。峠で出逢う不思議な老人や、美しい娘などは、昔から何かと噂がある。しかも、すぐ近くに神隠しに遭うとされる枯れた松がある。山田錦の稲が、ドッサリ倒れていた。いよいよ寒くなる。


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十月十日

夢のあと


 午後から庭の草刈りをする。管理しきれない程に広いので、ついには森に還りそうな気がする。野焼きをするつもりが、いつの間にか夜になっていたので断念。畦道を散歩中、まだ蕾の彼岸花の群れを発見した。彼岸も過ぎたというのに。夜、部屋の掃除。書きかけの手紙を発見して赤面。合歓の花を愛していたあの子は、元気にしているだろうか。


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十月九日

いつか来た路


 午後から平野の友と遊ぶ。懐かしの神社などを巡り、いつか毎日歩いていた畦道を訪ねる。変わったことと云へば、引っ越し前から工事していた道路がようやく基礎の部分が出来てきたこと。なんでも、遺跡発掘調査の時に、大昔の墓やら生活の跡が沢山出てきたらしい。デカイ道が完成すれば、便利にはなるものの、平野の長閑な景観は失われるであろう。時代の流れ、仕方ないとも思う。


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十月八日

夜語り


 昨日に続きあやしい天気。雨は降っていなかったので、午後からチャリで買い物に出かける。家から一番近いスーパーが10キロ先で、峠を二つ越えなければならない。こんなことしているのは村で自分くらいであろう。その前に図書館でも行こうと思い、これまた遠い東条の図書館まで行く。道中、雨にうたれる。雨宿りをしていたが、埒があかないので諦めて図書館まで濡れて行くも、ついた途端に雨があがり、おそらくこの晴れ間を逃すと帰りも雨に打たれると思い、本を読む暇もなく家路に急ぐ。スーパーでお造りを買う。体温が下がり、心なしか元気がなくなる。夜中に女の子と電話をする。鈴の転がるような声色に、心が冴える。 あまり自分の身の上話をするのは良くないと思うけれ共、知りたくなるのが人の常。無難なことしか答えられない自分を、卑怯だと思う節もあり、胸が傷む。一つだけ云へる事は、この出逢いは必然ということ。


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十月七日

秋雨


 一日を通して雨。縁側に布団を敷き、庭に落ちる雨音を聴いていると、気がつけば数時間経っていた。雨戸を開けっぱなしにしていたので、相当数の虫が部屋に侵入していた。我が家で冬を越すつもりだろうか。しかし、今日は普段では考えないような事にまで意識が向かい、自我を見つめ直す事ができた。秋の長雨に、心までも洗い流されたと思う。


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十月六日

村祭り


うすら寒い秋風に載り、祭り太鼓の音で目が覚める。いつの間にやら夏は過ぎ去り、集落での村祭りの時分になった。 この村に来てから、三度目の秋祭り。小さいながらも、田畑の豊作を祈る村人らが、布団屋台を担ぎ勇ましい声を上げていた。他人事の様に祭りを見学していると、村のエライ人から声をかけられた。集落の高齢化で担ぎ手が少ないから、来年は布団屋台を担ぐように念を押され。どうしても外見が若いので、期待されている。こればかりは男子の宿命と、はらを括らなければならん。 まだ何となく、自分は捨てた故郷の者という意識が強い。望郷の念。


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十月四日

肴は鯨!灘の酒


今日は灘の酒蔵へ行く。白鶴、菊正宗へ。まずは白鶴へ・・・相変わらず人形の完成度が高い。試飲コーナーにてひやおろしを頂く。甘酒ソフトクリームも頂く。やはり、自分は子供なので、酒よりもソフトクリームの方が口に合う。売店にて白鶴グラスを購入。続いて菊正宗。渋い広告塔を目印に、東へ歩く。白鶴から菊正宗は徒歩で十分ほどの距離。白鶴ほど展示内容は多くないもの、シンプルで良い内装である。しかし人形は置いてほしい・・・入り口付近に、昭和天皇のお座りになられた玉座があり、展示の仕方に疑問を感じる。こそっと座れそうな感じでポツンと・・・。とは云へ、さすが名店菊正宗、置いている酒は天下一品なので、大いに楽しめた。日本酒ソフトクリームと、試飲を頂く。お猪口と徳利のセットを購入。また、熱燗がうまい季節に再訪問したい。

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九月廿三日

醒めない夢


久しぶりの日記。この頃は、いよいよ自分自身の運命から逃げる事が出来ないと痛感している。時の流れは自分だけを避けて通り過ぎ、何もかも変わっていく。 それを特に不思議に思う事もなく、成り行きでここまで来てしまった。 夢を見ているのではないかと思う。ほんとうは、自分はまだ明石に居て、せんべい布団で寝ているのではないかと思う。


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七月廿四日

若さの秘訣


今日は行く予定がなかったももの、誘われて兵庫区の烏原貯水池へ。1905(明治38)年に竣工された立ヶ畑堰堤(ダム)を含む貯水施設。明治時代の建造物が残っている。ダムを徒歩で一周出来るハイキングコースがある。道中、ダムの木陰に座ってた爺さんに声をかけたれた。こっちで涼んでいけと云うので、隣に座る。これはヤバいと思った矢先、爺さんの身の上話しが始まった。生まれは四国松山で、二十代の頃に就職のため神戸へ来たらしい。そこから一時間ほど、現役時代の話を聞いた。このダムへは毎日通っていて、朝は畑仕事をしているらしく、とても元気なご老人。歳を聴いてみると、ビックリ仰天、90歳。70代くらいかと思い話を聴いていた。うっかり戦争中の話しを訊いてしまい、そこからは色々な体験談を語ってくれた。当時小学生で、家の柿の木へ登っているところ、米戦闘機グラマンが、超低空飛行で頭上を通過した話し、松山空襲で空が真っ赤になっている様子を見ていた話し、戦後、米兵にチョコレートを貰った話し、村の危機を救った軍人の叔父の話しなど、色々な話を聞かせてくれた。しかし、この炎天下、90歳の老人ですら朝から夕方まで外で運動している。熱中症とはどこ吹く風で、ピンピンしていた。ほんとうに、そこらの若者よりも、健康で、力強く感じた。 爺さんの健康を祈る。


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七月十六日

やっとこさ


先日のしゃぶしゃぶ事件から、やっとこさ雨が上がり、平野の祇園祭りへ行く。去年より屋台が少ない気がする。変わった、食べた事がない様な屋台が、沢山あった。しかし、値段が高い...この不景気で、仕方がないような気もする。りんご飴一つで600円は驚きの価格やなぁ...と、愚痴をいいつつ、屋台で散財。チイカワの綿菓子を抱きしめて歩くのは恥ずかしかったが、祭りのノリならでは。宵闇に揺れる提灯は、日本の夏の奥ゆかしさを感じさせた。


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七月十四日

夏の食い意地


養父と共に、夜からの兵庫区平野の祇園祭りへ行く予定が、大雨のため変更。三宮の模型店へ行き、神戸で晩御飯を食べた。無理を云い、しゃぶしゃぶ食べ放題に連れて行ってもらった。ここからが大変。食い意地の鬼と自称する自分は、脇目も振らずに食べ続けた。年の寄った養父は早くもリタイヤ。頼んだ料理を残すわけにもいかずに、限界を超えた胃に次々と納めていく。突然、目まいが起き、言葉を発することもままならなくなった。これはいかんと思った父は、俺をトイレに担ぎ、吐かせようと背を叩いたが、もはや食道の筋肉すらも緊張して出てこづ。意識朦朧のなか、帰宅。大変な思いをしたにも関わらず、夜中には空腹感に駆られ、お菓子をつまむ。しかし、このような出来事は、人生で初めてかも知れない。食の限界というものがあるのであろう。食べ放題は楽しかったが、そんなに行くものではない様な気になった。


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七月十二日

忠魂碑


午後から東條へ行く。行きつけのカフェでトンカツ定食を頂く。付近はゴルフ場が多く、ゴルフ場帰りの人が多く来るこの店は、店内の雰囲気も品の良く、静かに過ごすことが出来た。カフェを出てから行く先は、近くの寺にある忠魂碑である。寺は廃寺ではないものの、背の高く雑草が茂り鬱蒼としている。寺の境内の隣に、忠魂碑がある。暗く、寂しい雰囲気が漂う。かつて、日清、日露戦争のあったころ、この地域から出征された戦没者の慰霊碑である。忠魂碑の前には、弾丸の形をした石があり、今の自分は、この様な形の物を見ると嫌悪が湧き、暗い気持ちになる。それと同時に、この様な形のもの、マークを見ると、身が引き締まる思いであった頃の自分とで、価値観のズレが生じている。この様な価値観のズレは、生涯、向き合わなければならんものだと思う。今度訪れたのは二度目。たまにここへ来て見て、自分の気持ちがどのように変化して行くのか、考えてみたい。


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七月十一日

休息日


朝から雨。とても珍しい事ではあるが、今日は体調が悪く、一日中横たわって居た。午前中に、先日の日記を読んだ友人から、荷ほどきの手伝いに行くと連絡をくれていたが、寝てしまっていて気がつかなかった。惜しいことをした。ついでに「看病」もしてもらい損ねた。ひとり淋しく、畳の上に横たわり、時計の音に耳を傾けて居た。これほどまでに、心身共に休息を得た日はいつ振りであろうか。不思議と、満足感のある日であった。
小説「一直線」を読む。貧乏百姓の息子が、蓑を堂々と学校に着て来るシーンはいつ見ても痛快。
訂正:「少年賛歌」


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七月九日

荷解き


今日は朝から、押し入れの奥深くに仕舞われている、ダンボールを開封した。 平野村から引っ越した日より、一度も手をつけていない。荷ほどきに二年もかかっている理由は、俺の怠慢だけではない。ダンボールに入っている品々は、自分の歴史であり、当時の記憶のままに留めておきたい物もある。数年前、明石の果てで今の養父に見つけ出された日には、持ち物と云へば、着ていた服と、鞄の中に少しの持ち物のみであった。それから幾歳月、明日が来ない漠然とした時間の中で、色々な物を手に入れた。大した値段の物は少ないけれ共、あるときゲームセンタで獲ったストラップなども、今では尊く思へる。本も沢山ある。ほんとうによく買って頂いた。養父が買い与える本は、古い物が多く、負の時代を思い起こす本が大半を占めた。今の時代では信じられない様な内容の少年小説、児童書、雑誌などがあった。 いらないとは云へなかった。しかし、今思へば、読んでいてよかったと思う。元来、全く読書をするガラではなかった自分が、今ではそれなりに文章が読めるようになった。 話が逸れたが、この様な本、いつか買って頂いた謎の置き物、洋服などは、今見ると、頂いた時の記憶が蘇り、センチメンタルになって仕舞う。あの日、あの頃、懐かしい記憶の封印が解かれ、あの日の記憶に少し上書きされる今日の感情という物がついてくる。それが、何となく、寂しいのである。過去に執着する特性は、過去の思い出にこそ生きている自分自身の、かなしい運命なのかもしれない。


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七月三日

寮のあった場所


梅雨の晴れ間の蒸し暑い日。友人のY君とK氏と共に、かつて明石川崎航空機の寮があった場所へ訪れた。 現在は、兵庫県立総合リハビリテーションセンターとなっている。 障害者の支援に力を入れ、地域の総合病院としての役割りを担う。 とは云へ、俺は頻繁に来ているので新鮮味はない。友人はここに川崎の寮があった事は今まで知らなかったと云う。80年近く前の事なので、職員ですら知らぬ人も多い。探してみても、それらしき供養塔なども建っていない。いつか、受付にて、寮のあった時代の資料を探していると相談をして見ても、そもそも知らない。分からないと、門前払いされた事がある。こちらの身の上を明かさなかった事に問題があったのかも知れんが、苦い記憶のある場所。二人の友人にひと通り昔の話を終えてから、院内にある食堂でサンデーを頂く。あまりにも、美味かった。大変なうまさ、いつも、神戸のオシャレなサンデーなどを頂いているけれ共、ここのサンデーは不思議な程に美味かった。それから、院内を散策。天井高く、広い通路。近未来的で立派な内装。昔ながらの暗くコワイ病院とは違う。リハビリに励む障害者も、この様に明るい施設であれば、開放的になれるのかも知れん。 川崎時代の寮の話は、又、映像に纏めようと思う。
(新たな発見 サンデー)


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六月廿七日

懐かしい顔


昨晩は夜更かしをしてしまい、朝十時に起きる。 今年の梅雨は雨が少ない気がする。 午後から、チャリで東条まで走り、図書館へ行く。 フアブルの昆虫記を探したつもりが、郷土資料を読んでいた。 加東郡が加東市になっていた事に今更気がついた。いつか、加東の社辺りの中学生と明石で会った事がある。稲田という姓で、いかにも農民らしい名であった。懐かしい稲田に思いを馳せながら、青々と美しい水田の畦を走る。毎度のことながら、ここへ来ると故郷のような安堵感がある。日本の原風景、郷心・・・。六時半帰宅。急いで夕飯の支度をする。 白く艶やかな白飯を眺めていると、やはり稲田の顔が浮かんだ。


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六月廿三日

エライご無沙汰


瞬く間に月日は流れ、六月も後半になって仕舞った。前回の日記から三ヶ月、何をしていたかというと、いつもみたく明石へ通い続けていた。家から往復60キロ、チャリで週に5回。この間、何度か不思議なことが起きた。思い悩み、新たに己を奮い立たせようと、明石川崎航空機工場(現在は川崎重工)の、身代わり地蔵へお参りに行った時のこと。この地蔵は、前の戦争による空襲で、勤務中に亡くなった人々を供養する目的で祀られた。今では、地蔵のいわれを知る人も少なくなり、地域を見守る地蔵になっている。そして今年六月、地蔵尊にお参りしていると、小学生の集団と、引率の先生方が地蔵尊を囲んだ。平和学習で、地域の戦争史跡を巡っているらしい。俺は頼まれたわけでもなく、子供達に、地蔵尊のいわれと、戦時中の工場の役割、空襲時の惨劇を語った。その間、引率の先生は、いきなり語り始めた奇妙な俺を止めるどころか、これから来る生徒にも戦争の話をしてくれないかと頼まれた。勿論承知して、真剣にメモをとる子供達に心を打たれながら、無事に話し終えた。最後に、子供達に手を合わせてもらった。俺はこれがしたかった。いつか、ここで会ったことを、思い出すやろう。思い出して、調べるやろう、身代わり地蔵のこと。


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三月十五日

散る花も咲く花


三月も半ばとなり、梅の花もすっかり散って仕舞った。我が家の庭には、四本の梅の木がある。どれも別の品種で、それは見事な花を咲かせる。紅梅の木は一番に大きく、門前から来客を迎える。この紅梅は六月になると、大きな実をつけ、焼酎に漬けてをくと大変香りの良い梅酒が出来上がる。去年漬けた梅酒は、未だ一年も漬けては居ないけれ共、良く香り、美味深く、琥珀の様な美しい色をして居て、訪れる客人を喜ばせる。他に白梅の木もある。紅梅より花の良く香り、春まだ寒き庭先より、白梅の香の漂へば、巡りゆく季節に輪廻を重ねる。古より、散る花、残る花も散る花と云うけれ共、季節巡り、ふたたび力強く咲き誇る花の頼もしさ。これを見ていると、今の我が身は何の因果あってこの地に縛りついて在るのか、今一度、しっかりと向き合って見ようと思う。間もなく桜の咲く時分になる。有難う我が家の梅達、また、来春の逢う瀬を。

 
庭の白梅・紅梅

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